第六話 夜が明けるまで、僕の名前を呼んで
― 誰にでも優しい君が、私にだけ向けた特別 ―
七月。期末テストが終わった週末のことだった。
イヨリがLINEでマツバに送ったメッセージは、たった一行だった。
「今週の土曜日、うちに来ない?」
送信してから三十秒後、イヨリはスマホをベッドに投げて、枕に顔を埋めた。
——なんてことを送ったんだ。
自分の家にマツバ君を呼ぶ。二人きりで。しかも——両親が揃って夜勤で留守の日に。
これは——どういう意味に取られるだろう。いや、どういう意味もなにも、イヨリ自身がどういうつもりで送ったのか、自分でもわかっていなかった。
嘘だ。わかっている。分かっているから、顔が熱い。
スマホが震えた。恐る恐る画面を見た。
「行く。何時がいい?」
また即答だ。迷いがない。
イヨリは震える指で返信した。
「お昼くらいから。……お父さんとお母さん、夜勤でいないから、夕ご飯も一緒に食べられるよ」
既読。
五秒の沈黙。
それから。
「わかった。楽しみにしてる」
いつもの穏やかなマツバらしい返信。でも——「楽しみにしてる」の五文字が、妙にずしりと響いた。
土曜日。
朝から、イヨリは部屋の掃除をしていた。
自分の部屋。六畳の洋室。ベッド、学習机、本棚。壁にはカレンダーと、小さなドライフラワーのリース。シンプルで清潔な部屋だけど、いつも以上に念入りに掃除した。
——マツバ君が来る。わたしの部屋に。
考えるだけで心臓がうるさい。
掃除機をかけた。床を拭いた。ベッドのシーツを新しいものに替えた。
——シーツを替える意味を、深く考えないようにした。
お昼前に着替えた。
デートの時のようにワンピースを着ようかと思ったけど、自分の家だし——と思い直して、白いTシャツにデニムのショートパンツ。髪は下ろしたまま。
——これでいいかな。
鏡を見た。普段着のイヨリ。学校でもデートでもない、家でリラックスしている時のイヨリ。
マツバ君に、こういう姿を見せるのは初めてだ。
正午ちょうど。インターホンが鳴った。
玄関を開けると——マツバが立っていた。
白いリネンシャツに紺のパンツ。手にはお土産らしき紙袋。
「こんにちは。……お邪魔します」
マツバの声が、微かに緊張していた。いつもの穏やかさの中に、少しだけ硬さがある。
「うん、入って」
イヨリが横に退くと、マツバが玄関に足を踏み入れた。
靴を揃えて脱ぐマツバの姿を見ながら、イヨリは思った。
——マツバ君の靴が、うちの玄関にある。
なんだか、すごいことだ。
リビングに通した。
イヨリの家は、こぢんまりとした一軒家だ。リビングは広くないけど、温かい雰囲気がある。お父さんが趣味で作った木のテーブルと、お母さんが選んだカーテンと、家族写真が飾られた棚。
マツバがきょろきょろとリビングを見回した。
「あ、この写真——イヨリちゃん?」
棚の上の写真に目を留めた。小学校の入学式の写真だ。ランドセルを背負った小さなイヨリが、ぎこちなく笑っている。
「あっ、それ——見ないで!」
「可愛い。ちっちゃい」
「やめてってば! 恥ずかしい——!」
「ここにも。中学の制服——あ、転校してきた頃?」
「見ないでっ!」
イヨリが慌てて棚の写真を裏返した。マツバがくすくす笑っている。
「イヨリちゃんの家、温かいね。……すごく、イヨリちゃんらしい」
「そう……?」
「うん。穏やかで、丁寧で、優しい感じがする。イヨリちゃんを育てた場所だなって思う」
——なんでこの人は、こういうことをさらっと言うんだろう。
「あ、これ、お土産」
マツバが紙袋を差し出した。中身は——エンジュの和菓子屋の詰め合わせ。
「お父さんとお母さんにも。……いない時に来るの、ちゃんとご挨拶できなくて申し訳ないから」
「律儀だね、マツバ君……」
「彼女の家に来るんだから、当然でしょ」
彼女の家。その言い方だけで耳が熱くなる。
お昼ご飯を一緒に作った。
イヨリの家のキッチン。二人で並んで、パスタを作る。
「イヨリちゃん、料理できるの?」
「簡単なものなら。お父さんに教わったの」
「へえ。……イヨリちゃんの手料理、食べてみたかった」
「期待しすぎだよ。普通のナポリタンだから」
マツバはサラダを担当した。レタスをちぎって、トマトを切って。二人のキッチンの距離が——近い。
イヨリがフライパンを振っている時、マツバが後ろから覗き込んだ。
「おいしそう」
声が——耳元で聞こえた。
イヨリの体がびくっと跳ねた。
「ちょ、近い——! 火を使ってるのに——!」
「ごめんごめん」
マツバが笑いながら離れた。
でも——耳元に残った吐息の温度が、しばらく消えなかった。
ダイニングテーブルで向かい合って、ナポリタンとサラダを食べた。
「おいしい。イヨリちゃんの料理、すごくおいしい」
「お世辞でしょ……」
「お世辞じゃないよ。本当に。……毎日食べたい」
「毎日って——」
「……あ。今のは——将来の話として聞いて」
「将来……」
二人とも赤くなって、黙々とナポリタンを食べた。
でも——「将来」という言葉が、イヨリの胸の中にぽとりと落ちて、温かく広がった。
午後。イヨリの部屋で過ごした。
マツバをイヨリの部屋に通す時、イヨリは心臓が口から飛び出しそうだった。
「散らかってるけど……」
「全然散らかってない。きれいだね」
マツバが部屋を見回した。本棚に並んだ参考書と文庫本。机の上の文房具。ベッドの上のぬいぐるみ。
「あ。このぬいぐるみ——」
マツバがベッドの上のうさぎのぬいぐるみを指差した。
「そ、それは——中学の時にゲーセンで——」
「可愛い。名前は?」
「……つけてないよ」
「嘘。つけてるでしょ」
「つけてないっ」
「目が泳いでる」
「……うさまる」
「可愛い」
「笑わないでよ……」
マツバは笑わなかった。代わりに——うさまるを持ち上げて、そっとベッドの端に移動させた。
二人でベッドの端に並んで座って、一緒にマンガを読んだ。イヨリの本棚にある少女漫画。
「イヨリちゃん、こういうの読むんだね」
「……笑う?」
「笑わないよ。——この主人公の気持ち、ちょっとわかる。好きな人に素直になれないところ」
「……マツバ君みたいだね」
「四年間も素直になれなかったからね。共感しかない」
二人でくすくす笑いながらページをめくった。
夕方になった。
二人で夕ご飯を作った。今度はカレーだ。イヨリがルーを溶かして、マツバが野菜を切って。
共同作業が——心地いい。まるで、ずっと昔からこうしていたかのように、自然だ。
カレーを食べて、片付けをして、リビングのソファで並んでテレビを見た。
窓の外が暗くなっていく。夏の長い日が、ようやく沈んだ。
七時。八時。九時。
時間が——あっという間に過ぎていく。
いつの間にか、イヨリの頭がマツバの肩に乗っていた。電車の中と同じように。でも今回は——寝ているのではなく、意識してそうしていた。
マツバの肩は温かかった。硬くて、でも安心する。
マツバがイヨリの髪をそっと撫でた。
「マツバ君」
「ん」
「……ありがとう。今日、来てくれて」
「こちらこそ。イヨリちゃんの家、居心地がいい」
「いつもは……一人なの。お父さんとお母さんが夜勤の日は」
声が——少し、小さくなった。
「夜勤、多いの?」
「月に何回か。二人とも医療関係だから。……慣れてるけど、でもたまに——」
イヨリが言い淀んだ。
「たまに?」
「……さみしい」
その一言が——静かなリビングに落ちた。
小さな声。消え入りそうな声。いつも気丈に——大人しいけど芯の強い——イヨリが、初めて見せた弱さ。
「夜、一人で家にいると、しんとしてて。時計の音がすごく大きく聞こえて。雷が鳴ると怖いし、風が強い日は窓がガタガタいって——でも、誰にも言えなくて。心配かけたくなくて」
「イヨリちゃん——」
「マツバ君が来てくれて、嬉しかった。今日、全然さみしくなかった。マツバ君がいてくれるだけで——家が、温かくなる」
マツバの手が——イヨリの肩を引き寄せた。
ソファの上で、イヨリがマツバの胸に収まった。
「……もう寂しい思いはさせない」
マツバの声が——低かった。いつもの穏やかなトーンではない。もっと深い、もっと熱い声。
「いつでも呼んで。夜勤の日は毎回来る。イヨリちゃんが寂しくないように——僕が、ここにいる」
「マツバ君——」
「一人にしない。もう絶対に」
抱きしめる腕に、力が入った。
イヨリは——マツバの胸に顔を埋めた。シャツの布越しに、マツバの心臓の音が聞こえる。
速い。すごく速い。
「……マツバ君の心臓、すごい音」
「イヨリちゃんのせいだよ」
「わたしのせい?」
「こんな近くで、こんな可愛い顔されて。弱いところ見せてもらって。——平常心でいられるわけない」
マツバの声が——震えていた。
押さえ込んでいる。必死に。何かを——必死に。
イヨリが顔を上げた。
至近距離で、マツバと目が合った。
紫色の瞳が——揺れている。いつもの穏やかな光ではない。もっと——熱い。暗い。深い光。
見たことのない目だ。
でも——怖くなかった。
「マツバ君」
「……ん」
「キス、して」
自分から言った。
カナミちゃんに「イヨリちゃんからいっちゃいなよ」と言われたのを、今更思い出した。
マツバが——一瞬、目を見開いた。
そして——イヨリの顎に手を添えて、顔を近づけた。
唇が、重なった。
今までのキスとは——違った。
おでこへのキスでも、交差点での軽いキスでもない。
深い。長い。マツバの唇がイヨリの唇を捕まえて、離さない。
息が——甘く混じり合う。
イヨリの頭が——ぐらぐらと揺れた。酸素が足りない。でも——離れたくない。
マツバが唇を離した。二人とも息が荒い。
紫色の瞳が——熱く潤んでいた。
「……イヨリちゃん」
「なに——」
「このまま——もう少し、触れてもいい?」
声が——掠れていた。いつもの穏やかな「僕」の声。でも中身が、全然違う。抑えきれない何かが滲んでいる。
イヨリは——頷いた。
マツバの手がイヨリの頬に触れた。指先が、こめかみをなぞるように滑って、耳の後ろに触れた。
ぴくん、と体が跳ねた。
「あ——」
小さく声が漏れた。耳の後ろは——敏感だった。自分でも知らなかった。
マツバの指が——ゆっくりと、首筋を辿った。鎖骨のラインに沿って。Tシャツの襟元に触れて——止まった。
「……ここから先は——イヨリちゃんが嫌なら、やめる」
マツバの声。必死にコントロールしようとしている声。
でも指先が——かすかに震えている。
「嫌じゃ——ない」
「……本当に?」
「本当に。……マツバ君になら——」
言いかけて、恥ずかしくなって、顔をうつむけた。
「マツバ君になら……こわくない」
マツバの呼吸が——一瞬、止まった。
そして——イヨリを抱き上げた。
「え——ちょ、マツバ君——!」
「部屋、行こう」
ソファから立ち上がって、イヨリを抱えたまま、二階に向かった。
イヨリの部屋。
ベッドの上に、そっと降ろされた。
仰向けになったイヨリの上に、マツバが覆いかぶさっている。
腕で体重を支えて、イヨリを潰さないようにしている。でも——距離が近い。互いの息がかかる距離。
マツバの茶色い髪が、イヨリの顔にかかった。
「……怖い?」
「怖く、ない。でも、心臓がうるさい——」
「僕のも聞いて」
マツバがイヨリの手を取って、自分の胸に当てた。
どくどくどくどく。
暴れている。マツバの心臓が、イヨリと同じくらい——いや、それ以上に暴れている。
「……こんなの、初めてだよ」
「わたしも——」
「怖かったら、いつでも言って。やめるから」
「やめないで」
イヨリが——マツバのシャツの裾を握りしめた。
「やめないで。……ずっと、マツバ君に触れてほしかった」
その言葉が引き金だった。
マツバが——唇を重ねた。さっきより深く。さっきより熱く。
舌が——そっと触れてきた。イヨリは驚いて体を強張らせたけど、すぐに力を抜いた。マツバの舌が、優しく、慎重に、イヨリの舌に触れる。
「ん——ぅ……」
甘い声が漏れた。自分の声じゃないみたいだった。
こんな声、出したことがない。こんな声が出るなんて、知らなかった。
マツバの手がTシャツの裾に触れた。
「脱がせていい?」
「……うん」
Tシャツがゆっくりと持ち上げられた。腕を上げて、頭を通して。
白いブラジャーが露わになった。薄い水色のリボンがついた、シンプルなもの。
マツバの目が——イヨリの体を見つめた。
「——きれい」
「見ないで……恥ずかしい——」
「見る。全部見たい。全部きれい」
マツバの指がイヨリの鎖骨をなぞった。肩の丸みに沿って。腕を伝って。
すべてが——優しい。壊れ物に触るような指先。
マツバもシャツを脱いだ。
イヨリは——息を呑んだ。
制服の下に隠れていたマツバの体。細身だけど、肩幅があって、胸板は薄いけどきちんと筋肉がついている。
「……見ないで」
「マツバ君が先に見たでしょ」
「それはそうだけど——」
「きれいだよ。マツバ君の体」
マツバの耳が真っ赤になった。
マツバがイヨリの上に体を重ねた。素肌と素肌が触れ合った。
「あ——」
温かい。マツバの体が温かい。胸板の硬さと体温が、イヨリの柔らかな肌に直接伝わってくる。
マツバの唇が、イヨリの首筋に触れた。
ちゅ、と小さな音。
「ひ、ぁ——」
体がびくんと跳ねた。首筋に唇が触れただけで、全身に電気が走ったみたいだった。
マツバの唇が首筋から鎖骨に移動して、肩に降りて、胸の膨らみの上に——。
「あっ——マツバ君っ——」
ブラジャーの上から、唇が触れた。布越しでも——わかる。マツバの唇の温度と、吐息の湿り気。
「外していい?」
声が——掠れている。いつもの穏やかなマツバの声に、欲が混じっている。
「……うん」
背中に手が回って、ホックが外された。慣れない手つき。少し手間取って——でも、外れた。
ブラジャーがゆっくりと取り除かれた。
イヨリは反射的に腕で胸を隠した。
「……見ないで——」
「イヨリちゃん」
マツバが——イヨリの腕をそっと、でも確実に退かした。
「隠さないで。僕に——全部、見せて」
その声が——甘くて、切なくて。
イヨリは——腕の力を抜いた。
マツバの視線が——イヨリの胸に注がれた。
「……きれい。すごくきれい」
「小さいでしょ——」
「小さくない。イヨリちゃんの体にぴったりで、きれいで——」
マツバの唇が、胸の膨らみに触れた。
「ぁあっ——」
声が——出た。甘くて、高くて、自分じゃない誰かの声みたいだった。
マツバの舌が、先端の蕾に触れた。ちろ、と舐めるように。
「ひゃっ——! マツバ、くんっ——そこ——」
体が大きく跳ねた。背中が弓のように反った。
「感じる?」
「かん、じ——る——あっ、ぁんっ——」
マツバの舌が蕾をくるくると転がす。吸い上げる。ちゅ、ちゅ、と水音が鳴る。
「やっ——あっ——マツバ、くぅんっ——」
反対側の胸を、マツバの手のひらが優しく包んだ。指先で先端を摘まむ。こりこりと転がす。
「あああっ——両方、同時——むりっ——」
イヨリの手がマツバの髪をつかんだ。押し離すわけでも抱き寄せるわけでもなく——ただ、しがみつくように。
マツバが顔を上げた。イヨリを見つめた。
紫色の瞳が——完全に熱を帯びていた。穏やかさも優しさも消えて、残っているのは——剥き出しの欲望と、それでもイヨリを大切にしたいという、矛盾した輝き。
「イヨリちゃん。その——」
マツバが一瞬、言い淀んだ。耳が赤い。
「僕——持ってきてるんだけど」
「え——?」
「その……コンドーム」
二人の間に——三秒の沈黙。
「……持って、きたの?」
「……はい」
「え、っと——つまり、マツバ君は——」
「えっちできたらいいな、と……思って……きました……」
顔が——真っ赤だった。マツバの顔が。さっきまで胸を舐めていた男とは思えないくらい、純朴に真っ赤だった。
イヨリは——一瞬呆然として——それから、ぷっと吹き出した。
「あはは——マツバ君——」
「笑わないでっ——」
「だって——ちゃんと準備してくるところが、すごくマツバ君だなって——」
「準備は大事でしょ——! 相手の気持ちを確認する前に——その——」
「うん。大事だよ。ありがとう」
イヨリが——微笑んだ。恥ずかしそうに。でも——確かに。
「使って。……わたしも——マツバ君と、したい」
マツバの紫色の瞳が——大きく見開かれた。
そして——もう一度、唇を重ねた。今までで一番深く。一番甘く。
マツバの手が、イヨリのショートパンツのボタンに触れた。
「脱がせるよ」
「……うん」
ボタンが外されて、ファスナーが下ろされて。ショートパンツがゆっくりと脱がされた。
白い下着だけになったイヨリが、ベッドの上に横たわっている。
マツバの目が——イヨリの全身を見つめた。
色白の肌。華奢な体。細い腰。なめらかな太もも。
「……ほんとに、きれいだ」
「マツバ君、何回言うの——」
「何回でも言うよ。足りないくらい」
マツバの指がイヨリの太ももに触れた。内側を——ゆっくりと撫でる。
「ぁ——」
膝がぴくんと跳ねた。太ももの内側が——こんなに敏感だなんて。
マツバの指が上にのぼってくる。太ももの付け根。下着の縁に——指先が触れた。
「……ここも、触っていい?」
「——っ……うん——」
下着の上から、指がそっと触れた。
「ぅあっ——」
体が跳ねた。布越しに——マツバの指がそこに触れている。
「濡れてる……」
マツバの声が——低く震えた。
「言わ、ない、で——」
「ごめん。でも——嬉しい。イヨリちゃんが、僕のことで——」
指がゆっくりと動いた。布越しに、一番敏感な場所を探るように。
「ぁあっ——そこ——」
見つけた。イヨリの体が大きく跳ねた場所を、マツバは逃さなかった。
「ここ?」
「やっ——あっ——あっあっ——」
くりくりと小さな円を描くように、指が動く。布越しなのに——こんなに。
「マツバ、くんっ——だめっ——変な声っ——出ちゃ——あぅっ——」
「変な声じゃないよ。可愛い声。もっと聞かせて」
「むりっ——は——あっ——ぁあんっ——」
マツバが下着のウエストに指をかけた。
「脱がすよ」
イヨリは声が出なくて、こくこくと頷いた。
下着が脚を伝って下ろされた。
何も纏っていない。生まれたままの姿で、マツバの前に横たわっている。
恥ずかしい。恥ずかしすぎて死にそうだ。でも——マツバの目は、真剣で、優しくて、熱くて。
「——世界一、きれい」
その言葉に——救われた。
マツバの指が——直接、触れた。
「ひぁっ——!」
濡れた音がした。マツバの指がぬるりと滑る。
「あっ——あっ——マツバくっ——んぅっ——」
指がゆっくりと中に入ってきた。一本。細い指が、壁をなぞるように入ってくる。
「痛い?」
「痛く——ない——でもっ——変な、感じ——ぅんっ——」
マツバの指がゆっくりと動いた。出し入れするたびに、ぬちゅ、くちゅ、と音がする。
「んぁっ——あっ——そこっ——」
指が中のある場所に触れた瞬間、イヨリの腰が大きく跳ねた。
「ここ?」
「そっ——そこっ——あっ——あっあっあっ——」
マツバの指がその場所を繰り返し撫でる。親指が外の蕾を同時に刺激する。
「ぃやぁっ——マツバくんっ——なにこれ——おかしくなるっ——」
「おかしくなっていいよ。僕の前なら——全部出して」
「あっ——あっ——あっ——来るっ——何かっ——来——ぁあああっ——!!」
イヨリの背中が大きく反った。マツバの指を締め付けるみたいに、全身がビクビクと震えた。
長い、長い痙攣。
しばらくして——体が弛緩した。荒い息をつくイヨリ。目が潤んでいる。頬が紅く染まっている。
「……すごかった。何、今の——」
「イヨリちゃんが、いった」
「いっ——言わないでっ——!」
「可愛い。すごく可愛い。今の顔——僕しか知らない」
マツバの声に——独占欲がにじんでいた。
マツバが自分のパンツを脱いだ。
イヨリは——初めて、男の人のそれを見た。
「——っ」
大きい。硬い。熱そう。先端が少し濡れている。
怖い——とは、思わなかった。でも——入るのだろうか。
「……大丈夫? 怖かったら——」
「怖くない。でも——大きいね」
「そういうこと言われると照れる——」
「照れるの?」
「照れるよ……」
マツバが持ってきた紙袋から、小さな箱を取り出した。コンドーム。開封して、慣れない手つきで——装着した。
その姿を見ているイヨリの胸に——愛しさが溢れた。
ちゃんと準備してきてくれた。わたしの体を、大切にしようとしてくれている。
「イヨリちゃん」
「うん」
「痛かったら、すぐ言って。すぐやめるから」
「……うん」
「ゆっくりいくよ」
マツバがイヨリの脚の間に体を入れた。先端が——イヨリに触れた。
「あ——」
熱い。硬い。でも——マツバだ。マツバ君が、わたしに——。
「入れるよ」
「……うん。来て、マツバ君」
ゆっくりと——先端が、中に入ってきた。
「ぅ——っ——」
圧迫感。きつい。少し——痛い。
マツバが止まった。
「痛い?」
「大丈夫——ちょっと——きつい、だけ——」
「無理しないで——」
「無理してない。もう少し——来て」
マツバが——もう少しだけ、奥に進んだ。
「くぅっ——あっ——」
ずるりと入ってくる感覚。体の中にマツバがいる。マツバ君が、わたしの中に。
涙がこぼれた。痛いのか嬉しいのかわからない涙が。
「イヨリちゃん——泣いてる——」
「痛くて泣いてるんじゃない——マツバ君がっ——中にいるのがっ——嬉しくてっ——」
マツバの額にも汗が浮かんでいた。歯を食いしばっている。入れるだけで——こんなにも、気持ちいいのだ。イヨリの中が柔らかくて、熱くて、きゅうきゅうと締め付けてきて。
「……動くよ」
「うん——」
ゆっくりと、腰を引いて——また押し入れた。
「ぁあっ——!」
イヨリの声が高く跳ねた。
慎重に。優しく。でも確実に——マツバが動き始めた。
ずるっ——ぬるっ——ずるっ——。
ゆっくりとした律動。イヨリの中を丁寧に往復する。
「ぅん——あっ——マツバっ——くんっ——」
「気持ちいい? 痛くない?」
「痛くない——気持ちっ——ぃい——んぅっ——」
痛みが引いていく。代わりに——甘い痺れが広がっていく。マツバが動くたびに、お腹の奥がきゅんと疼く。
「イヨリちゃん——すごい。中、すごく——」
「言わ——んっ——言わないでっ——恥ずかしっ——あっ——」
「ごめん、でも——気持ちよすぎて——イヨリちゃんの中、柔らかくて——熱くて——」
「んっ——ぁあっ——」
マツバの腰がゆっくりと律動する。奥まで入って——ゆっくり引いて——また奥まで。一回一回を味わうように、丁寧に。
ずるっ——ぬるっ——ずるっ——。
繋がっている場所から、くちゅくちゅと甘い水音がする。
「ぅん——あっ——マツバっ——くんっ——」
「気持ちいい? 痛くない?」
「痛くない——気持ちっ——ぃい——んぅっ——」
痛みが引いていく。代わりに——甘い痺れが広がっていく。マツバが動くたびに、お腹の奥がきゅんと疼く。中をなぞられるたびに、頭の中が蕩けていく。
「あっ——んっ——そこっ——マツバくんっ——そこ、いいっ——」
「ここ?」
マツバが腰の角度を少し変えた。上向きに、ぐっと突き上げる。
「ひぁあっ——! そこっ——!!」
イヨリの背中が大きく弓なりに反った。爪先がぴんと伸びる。
「あっ——あっ——あっ——だめっ——そこずっと当たるとっ——おかしくなるっ——!」
「おかしくなってもいいよ。僕の前では——全部見せて」
マツバの声が——甘くて低い。「僕」のまま——こんなに熱い声を出す。
ぱんっ——ぱんっ——。
マツバの動きが——少しずつ速くなった。腰がイヨリに打ちつけられるたびに、甘い水音と肌のぶつかる音が部屋に響く。
ずちゅっ——ぬちゅっ——ずちゅっ——ぱちゅっ——。
「あっ——あんっ——マツバくんっ——もっとっ——」
「もっと?」
「もっと——奥にっ——来てっ——」
——自分から「もっと」「奥に」なんて言うなんて。
頭がおかしくなっている。でも——止められない。マツバ君の体温が、マツバ君の硬さが、中でぐりぐりと擦り上げてくるたびに、理性が溶けていく。
「……イヨリちゃんのそういうところ——ずるいよ」
マツバが——イヨリの片脚を持ち上げた。太ももの裏を手で支えて、少しだけ角度を深くする。
「ひゃあああっ——! やっ——なにそれっ——深っ——!」
「ここ? ここがいい?」
「いいっ——! いいのっ——! あっ——あっ——あっあっあっ——!」
イヨリの声が高くなる。甘い。切ない。必死に何かにしがみつくような声。マツバの背中に腕を回して、爪を立てそうになる。
「爪——痛いよ、イヨリちゃん」
「ごめっ——でもっ——気持ちよすぎてっ——どこ掴めばいいかっ——わかんないっ——」
「僕を掴んでいいよ。どこでも。好きなだけ」
マツバの唇がイヨリの首筋に落ちた。吸い上げるように、ちゅ、ちゅ、と音を立てて。
「やっ——跡っ——残るっ——」
「残したい。ここに——僕の印をつけたい」
「んぅっ——マツバくんのっ——えっちっ——」
「えっちなのはイヨリちゃんのせい。こんなに可愛い声出すから——理性保てない」
マツバの腰が——さらに速くなった。
ぱんっぱんっぱんっぱんっ——。
リズミカルに。でも一突きごとに奥を的確に捉える。
「あっ——あっ——あっ——マツバくんっ——好きっ——好きっ——好きっ——」
「僕も——好き——イヨリちゃん——」
マツバがイヨリの手を取って、指を絡めた。恋人繋ぎ。繋がりながら——繋がっている。
体の真ん中で一つに繋がって、指先でも繋がって。
イヨリの中で、何かが膨らんでいく。さっきの指の時と同じ——でもっと大きい波。底の方から、ぐわぁっと押し上げてくるような——。
「あっ——また——来るっ——マツバくんっ——来ちゃうっ——」
「うん——いいよ——いって」
「で、でもマツバくんっ——一緒にっ——一緒がいいっ——」
「僕も——もう——限界——イヨリちゃんの中——きつくて——」
「んぅっ——あっ——あっ——あっ——」
マツバの動きが激しくなった。
ぱんっ——ぱんっ——ぱんっ——。
イヨリの中を、深く、強く。でも決して乱暴じゃない。イヨリの声を聴きながら、イヨリの体を感じながら。
一突きごとに、奥の奥まで。イヨリの体が跳ねるたびに、ベッドが軋む。
「あっ——あっ——あっ——いっ——いくっ——いくっ——マツバくんっ——!」
「僕も——!」
マツバの動きが一際深くなった。奥の奥まで——体を密着させて、一番深いところで。
その瞬間——マツバの唇が、イヨリの耳元に触れた。
荒い息が耳朶を震わせる。
そして——。
「——イヨリ」
呼び捨て。
「ちゃん」も何もない。ただ、名前だけ。
生まれて初めて、マツバの口から聞く——呼び捨ての自分の名前。
低い声。掠れた声。四年間の全てを込めたような声。
「イヨリ——好きだ——っ!」
マツバの体が大きく震えた。腰がぐっと押し込まれて、一番深いところで——びくっ、びくっ、と脈打つのがわかった。コンドーム越しでも——マツバが、達した、ということが。体の奥で、熱いものがとくとくと脈打っている。
名前を呼ばれた瞬間——イヨリの中でも、波が弾けた。
「ぁああああっ——!! マツバくんっ——!!」
背中が大きく反った。マツバの手を握りしめて。内壁がびくびくとマツバを締め付けて。全身が痙攣して。
視界が白く弾けて——何も考えられなくなった。
長い——長い余韻。
二人が重なったまま、荒い息をつきながら、どれくらいの時間が過ぎただろう。
マツバが——そっとイヨリの額にキスをした。汗ばんだ額に。
「……大丈夫?」
「……ん——大丈夫——」
「痛くなかった?」
「最初だけ。あとは——すごく、気持ちよかった。……マツバ君に名前呼ばれた時——一番、気持ちよかった」
マツバの紫色の瞳が——潤んだ。
「……よかった」
マツバがゆっくりとイヨリの中から抜いた。ずるり、と離れていく感覚に、イヨリは小さく「あ——」と声を漏らした。繋がっていたものが離れるのが——少しだけ、寂しかった。
コンドームを外して、ティッシュで包んで。
それから——ベッドに横になったイヨリの隣に、もう一度寝転んだ。
布団を二人にかけて。
「……ねえ、マツバ君」
「ん」
「さっき——わたしのこと、呼び捨てにしたよね」
マツバの体が——ぴくんと固まった。
「……した、かも」
「『イヨリ』って。『ちゃん』なしで」
「……ごめん。つい——頭が真っ白になって——」
「謝らないで。……すごく——嬉しかった。心臓が跳ねた。体の中まで響いた」
「え?」
「マツバ君に呼び捨てにされるの——ずっと、憧れてた。……もう一回、呼んで?」
マツバが——イヨリの方を向いた。紫色の瞳が——柔らかく、甘く、光っている。
「……イヨリ」
——ああ、だめだ。
好きすぎる。この人が。この声が。この名前の呼び方が。
体の奥がまだ疼いている。さっきの余韻が消えていない。その上に、この声が重なると——。
「もう一回」
「イヨリ」
「もう一回」
「……何回でも呼ぶよ。イヨリ。イヨリ。イヨリ」
呼ばれるたびに——胸が震えた。体が熱くなった。
「マツバ君——」
「ん?」
「……もう一回、したい」
マツバが——目を見開いた。
「え——」
「だめ……?」
「だめじゃ——ないけど——体、大丈夫? 初めてだったのに——」
「大丈夫。……マツバ君にもっと触れたい。もっと——感じたい」
マツバの呼吸が——変わった。さっき落ち着きかけた心臓が、また速くなるのが——イヨリの手のひらに伝わった。
「……僕も——正直、もう一回——したかった」
「じゃあ——」
「でも無理はしないでね。痛かったら——」
「マツバ君」
「はい」
「しつこいよ」
イヨリが——笑った。初めて——ベッドの上で、マツバに向かって、ちょっとだけいたずらっぽく笑った。
マツバの理性が——音を立てて砕けた。
二回目は——一回目とは違った。
マツバがイヨリの体を起こして、自分の膝の上に座らせた。向かい合う体勢。
「え——こ、この体勢——」
「イヨリちゃんが——自分のペースで動けるように。痛かったらすぐ止められるから」
「……マツバ君って、こういう時まで優しいね」
「優しいんじゃなくて——イヨリちゃんの気持ちいい顔を、正面から見たいだけ」
「——っ! そういうこと言うから——!」
新しいコンドームを装着したマツバの上に、イヨリがゆっくりと腰を下ろした。
ずるっ——ぬるっ——。
一回目で慣れた体が、今度はするりとマツバを受け入れた。
「んぁっ——あっ——入っ——てるっ——」
「……っ——イヨリちゃん——すごい——さっきより——」
「さっきよりっ——なにっ——」
「……きつい。締めつけが——」
「やっ——そういうの——言っちゃだめっ——ぁんっ——」
向かい合っている。マツバの紫色の瞳が、すぐ目の前にある。逃げ場がない。
マツバの手がイヨリの腰を掴んだ。
「ゆっくり——動いてみて」
「む、無理——自分から動くなんて——恥ずかしくて——」
「……じゃあ、僕が動く」
マツバの腰が——下から突き上げた。
「ひゃあっ——!!」
角度が——さっきと全然違う。奥の壁にぐりっと押し当てられて、ぞくぞくと電気が走る。
「あっ——あっ——この体勢っ——深いっ——すごく深いっ——」
「気持ちいい?」
「気持ちっ——んぅっ——いいっ——すごくっ——あっあっあっ——」
マツバがイヨリの腰を持って、ゆっくりと上下に動かした。イヨリの体がマツバの上で揺れる。
とろっ——ぬちゅっ——くちゅっ——。
繋がっている場所から甘い音が溢れる。
「やっ——音っ——すごい音——聞かないでっ——」
「聞く。全部聞きたい。イヨリちゃんの声も——体の音も——全部僕のだから」
独占欲。穏やかな「僕」で言う独占欲。この状態で言われると——全身が震えるくらい甘い。
イヨリが——自分から腰を動かし始めた。ぎこちなく。でも——マツバが気持ちよさそうに息を漏らすのを聞いて——もっと、動きたくなった。
「あっ——こうするとっ——マツバくんもっ——気持ちいいっ——?」
「っ——すごく——イヨリちゃん——上手——」
「上手とかっ——言わないでっ——はっ——あっ——んぅっ——」
少しずつリズムが合ってきた。イヨリが腰を落とす瞬間にマツバが突き上げる。ぴったりと重なるタイミング。
「ぁあんっ——! そこっ——! マツバくんっ——!」
「ここ? ここがいいの?」
「いいっ——いいのっ——あっ——あっ——あっ——もうっ——だめっ——」
マツバがイヨリの背中に腕を回した。抱きしめるように。密着する体。肌と肌が汗ばんで、ぺたぺたと張り付く。
イヨリの胸がマツバの胸に押しつけられて、先端がこりこりと擦れる。
「ひっ——胸もっ——当たってっ——全部っ——気持ちいいっ——」
「イヨリちゃん——可愛い——可愛すぎる——」
「マツバくんっ——好きっ——大好きっ——」
「僕も——イヨリが——好きだ——」
——また、呼び捨てだ。
名前を呼ばれるだけで——体の奥がきゅうっと締まる。
「あっ——名前っ——呼ばれるとっ——中がっ——きゅってなるっ——」
「……本当? じゃあ——」
マツバの唇がイヨリの耳元に近づいた。
「イヨリ」
「ひゃんっ——!」
「イヨリ」
「やっ——あっ——」
「イヨリ。イヨリ。イヨリ——」
名前を囁くたびに、中がきゅうきゅうと締まる。マツバの声が直接体の芯に響く。
「ずるっ——ずるいっ——マツバくんっ——それ反則っ——あっ——あっ——あっ——」
「反則でもいいよ。イヨリの全部が——欲しいから」
マツバの腰が——激しくなった。下から突き上げる動きが、速く、深くなっていく。
ぱんっぱんっぱんっぱんっ——。
イヨリの体がマツバの上で跳ねる。高い声が止まらない。
「あっ——あっ——あっ——いくっ——もうっ——いっちゃうっ——マツバくん——一緒にっ——」
「うん——一緒に——イヨリ——」
マツバがイヨリの腰を両手で掴んで、一番奥まで引き寄せた。
ずんっ——と、一番深いところで止まった。
「あ——ああっ——!!」
「イヨリ——っ! 好きだ——!」
びくんっ——。
マツバの体が震えた。奥深くで、とくっ、とくっ、とくっ、と脈打つ。コンドーム越しに——マツバの熱が、イヨリの一番深い場所に注がれている。
同時に——イヨリも弾けた。
「ぁああっ——マツバっ——くぅんっ——!!」
全身が痙攣した。マツバにしがみついて。全身の力を込めて抱きついて。内壁がびくびくとマツバを搾り取るように締め付ける。
長い——長い絶頂。
一回目よりずっと深くて。ずっと甘くて。ずっと——幸せだった。
イヨリがマツバの肩に顔を埋めた。荒い息が肩に当たる。体が——まだ小さく痙攣している。
マツバがイヨリの髪をそっと撫でた。
「……大丈夫?」
「……ん。大丈夫。……すごかった」
「二回目の方が?」
「うん。……マツバ君の顔が見えるのが——すごく、嬉しかった」
「……僕もだよ。イヨリちゃんの気持ちいい顔——世界一可愛かった」
「見ないでよそういう顔……」
「見る。一生見る。僕だけの特権だから」
イヨリは——マツバの胸に額を押しつけて、ふにゃっと笑った。
力が入らない。体が蕩けている。でも——幸せで、温かくて、世界中の何よりも安心する場所にいる。
後始末を済ませて、二人でシャワーを浴びた。
イヨリの家の小さなバスルーム。二人で入るには狭い。肌が触れ合う。
「マツバ君、シャワーのお湯熱くない?」
「大丈夫。……イヨリちゃんの方が大事。ちゃんと洗わないと」
「自分で洗える——」
「洗わせて。背中」
マツバがイヨリの背中にシャワーを当てながら、泡立てたボディソープで優しく洗った。大きな手のひらが、背中の曲線をなぞっていく。
「んっ——くすぐったい——」
「ごめん。……でも、きれいだな。背中」
「背中にきれいとかないでしょ——」
「ある。イヨリちゃんの背中は——華奢で、白くて、きれいだよ」
背中から腰に手が滑った時、イヨリの体がぴくんと跳ねた。
「っ——まだ感じやすいの……」
「可愛い」
「可愛くない……」
シャワーを浴びて、イヨリのパジャマを着た。マツバには大きめのTシャツとスウェットパンツを貸した。
イヨリのパジャマ姿——ゆるいTシャツに、くまの柄のショートパンツ——を見て、マツバが固まった。
「……何?」
「——可愛すぎて、もう一回しそう」
「もうしないっ!」
「冗談。……半分」
「半分冗談じゃないのが困るんだけど——」
ベッドに戻った。
新しいシーツに、二人で並んで横になった。毛布を被って。枕を半分こにして。
「……ねえ、マツバ君」
「ん?」
「今日——来てくれて、ありがとう」
「お礼は——もう何回も言ったでしょ」
「何回でも言うよ。だって——ほんとに嬉しかったから。全部」
「全部?」
「全部。一緒にご飯作ったのも。マンガ読んだのも。ソファで甘えたのも。……えっちしたのも」
「最後のやつ照れながら言うの、ずるいよ」
「マツバ君に言われたくないよ……世界一ずるいのはマツバ君だよ……」
二人で笑った。毛布の中で。くすくすと。
「……ねえ、マツバ君」
「ん」
「普段は『イヨリちゃん』で、えっちの時だけ呼び捨てにするの——すごくいい」
「え?」
「いつもは穏やかに『イヨリちゃん』って呼んでくれて。でも——本当に気持ちが溢れた時だけ、『イヨリ』って呼ぶの。……すごく——特別な感じがする」
「……それは——僕もそう思う。『イヨリ』って呼ぶのは——特別な時だけにしたい」
「うん」
「だって——僕にとってイヨリちゃんは、世界で一番特別な人だから。普段の『ちゃん』も、特別な時の呼び捨ても——全部、大好きの形だよ」
イヨリの目から——涙がこぼれた。何度目かわからない涙。
でもこれは——幸せの涙だ。
「マツバ君——大好き」
「僕も。イヨリのことが——世界で一番、大好きだよ」
——あ。また呼び捨て。
マツバが気づいて「あ、今のは——」と言いかけた。
「いいの。今のも——特別な瞬間だから」
マツバが微笑んだ。イヨリの額にキスをした。
二人は——毛布の中で抱き合った。
窓の外は——夏の夜が広がっている。虫の声が聞こえる。月明かりが、カーテンの隙間から差し込んでいる。
イヨリは——マツバの胸に顔を埋めて、目を閉じた。
心臓の音が聞こえる。マツバの心臓。さっきより落ち着いたけど、まだ少し速い。
マツバの腕が——イヨリを包み込んでいる。大きくて。温かくて。どこにも行かせないよう、という腕。
「……マツバ君」
「ん?」
「……明日の朝も——いてくれる?」
「いるよ。起きたら——一番にイヨリちゃんの顔を見たい」
「……ふにゃ」
「今、『ふにゃ』って言った?」
「言ってないっ……」
「言った。可愛い」
「……もう寝る」
「うん。おやすみ、イヨリちゃん」
「おやすみ、マツバ君」
今夜は——寂しくない。
今夜だけじゃない。これからずっと。
マツバがいてくれるから。
四年間の両片思いの先に待っていたのは——こんなにも温かい夜だった。
誰にでも優しい君が、わたしにだけ向けた特別。
その特別が——今、わたしの全身を包んでいる。
目を閉じると——マツバの声が聞こえた。
もう眠りかけのイヨリの髪を撫でながら、マツバが囁いた。
「——イヨリ。好きだよ」
特別な呼び方。特別な声。
イヨリは——眠りの中で、ふにゃりと笑った。
― 第六話 了 ―