夜が明けるまで、何度でも
午後十一時。行灯の火が、畳の部屋に橙色の翳りを落としていた。
明日はジムも診療所も休みだった。二人とも翌日を気にする必要がない、珍しい夜。マツバがそれを告げた時、イヨリの目がきらりと光った。
「じゃあ、今夜は……ゆっくりできますね」
その「ゆっくり」に込められた意味を、マツバは正しく読み取った。千里眼など使うまでもなかった。イヨリの頬が薄紅に染まり、視線が畳の目に落ちている。恥じらいながらも、期待を隠しきれていない。
「ああ。……夜明けまで、たっぷり時間がある」
マツバの声は平静だったが、その内側では紫色の炎が静かに燃え上がっていた。
一度目は、丁寧だった。
布団の上に横たわったイヨリの寝間着を、一枚ずつ解いていく。帯紐を引き、襟を開き、肩から滑らせる。行灯の光に照らされたイヨリの肌は、薄い和紙のように白く、その下に走る血管の青が透けて見えた。華奢な鎖骨。慎ましい胸の膨らみ。肋骨の輪郭がうっすらと浮かぶ腹部。小柄な身体の全てが、マツバの目の前に晒された。
マツバの視線は、二箇所に留まった。
イヨリの左目。行灯の弱い光の中で、右目より僅かに焦点が合いにくくなっている。暗所では視力が著しく低下する後遺症。今この薄暗い寝室で、イヨリの左目はマツバの輪郭をぼんやりとしか捉えられていないはずだった。
そして左足。ふくらはぎから足首にかけて、古い傷の記憶が筋肉の奥に眠っている。長時間の負荷で目を覚ます、静かな痛み。
マツバは、この二つの傷を知っている。知った上で、今夜はこの身体を夜明けまで抱くと決めている。だからこそ、急がない。
唇を額に落とした。左のこめかみに唇を滑らせ、左目の上をそっと唇でなぞった。まぶたの薄い皮膚が、マツバの唇の温度で微かに震えた。
「……マツバさん、そこ……左目の上……」
「うん。……ここが君の弱い場所だって、知ってるよ」
「弱い場所、じゃなくて……大切にされてるって、わかる場所です……♡」
マツバの唇が首筋に降りた。鎖骨の窪みに舌を落とし、胸元へ。左の乳房を唇で包み込み、桜色の頂を舌先で転がした。イヨリの背中が微かに反り、甘い吐息が漏れた。
「あっ……♡ マツバさん……」
右の乳房も同じように愛撫した。片方ずつ、丁寧に。舌の面で乳首を押し潰し、先端で弾き、唇で吸い上げる。イヨリの身体が、少しずつ熱を帯びていく。肌の色が白から薄桃色に変わっていくのが、行灯の光の下でわかった。
指が花弁に触れた。既に濡れ始めていた。マツバの指先が蜜を掬い、蕾を撫でると、イヨリの腰が小さく跳ねた。
「んっ……♡ そこ……♡」
「焦らないよ。……今夜は長いから」
中指を膣内に入れ、ゆっくりと馴染ませた。内壁が指を包み込み、ぬるりと蜜が溢れた。指を動かしながら、空いた手でイヨリの左足のふくらはぎに触れた。筋肉の状態を確認する。まだ柔らかい。
「入れるね」
「はい……来てください……♡」
先端が花弁を押し開き、ゆっくりと沈んでいった。イヨリの身体がマツバを迎え入れ、膣壁が形を記憶するように締め付けてくる。根元まで到達した時、二人の吐息が重なった。
「あっ……全部……入りました……♡」
ゆっくりと腰を動かした。一往復ごとに、イヨリの声が甘く揺れる。急がない。イヨリの呼吸に合わせて、波のように寄せては返す律動。
「マツバさん……♡ マツバさん……♡ 気持ちいい……♡♡」
「イヨリ……中が……すごく温かい……」
数十分をかけて、ゆっくりと登り詰めた。頂上が見えた時、マツバはイヨリの手を握った。
「一緒に」
「はい……♡♡」
同時に果てた。マツバの精がイヨリの最奥を満たし、イヨリの膣壁がそれを搾り取った。長い波が二人の身体を通り抜けていく。
「はぁっ……♡♡ マツバさん……♡♡」
一度目が、終わった。時計の針は、午前零時を少し過ぎていた。
最初の休憩。
マツバは布団から出て、台所で白湯を沸かした。二つの湯呑みに注ぎ、小さな盆に乗せて寝室に戻った。イヨリは布団の中で身体を起こし、寝間着を肩にかけた状態でぼんやりとしていた。余韻がまだ身体に残っているのか、頬が赤い。
「はい。身体を温めて」
「ありがとうございます……♡」
イヨリが湯呑みを両手で包み、ふうふうと息を吹きかけてから啜った。白湯の温もりが喉を伝い、腹部に落ちていく。それだけで、冷えかけた身体の芯がぽかぽかと蘇った。
マツバはイヨリの隣に座り、左足を自分の膝の上に乗せた。何も言わず、ふくらはぎを両手で揉み始めた。
「んっ……マツバさん、いつもありがとう」
「さっきの体勢、左足に負担かかってなかった?」
「大丈夫でしたよ。……マツバさんがゆっくりしてくれたから」
マツバの親指が、ふくらはぎの奥にある古い硬結を探り当てた。そこを丁寧にほぐしていく。イヨリが小さく息を吐いた。
「……左目の方は? 暗いと見えにくいだろう」
「うん……右目だけで見てる感じです。……でも、マツバさんの顔はちゃんと見えてますよ」
「見えなくても、僕はここにいるから」
マツバの手が、イヨリの左目のまぶたにそっと触れた。手のひらの温かさで、疲れた左目の筋肉を押すように覆った。イヨリが目を閉じた。
「……あったかい。手のひらが」
「しばらくこうしていよう。目を休ませて」
二人は無言で座っていた。マツバの右手がイヨリの左目を覆い、左手がイヨリの左足を揉んでいる。二つの傷を、同時にいたわっている。窓の外から、虫の声が遠く聞こえた。エンジュの夜は深い。
「……マツバさん」
「うん」
「……もう一回、したいです」
マツバの心臓が跳ねた。手のひら越しに、イヨリのまぶたが微かに震えているのが伝わった。
「目は大丈夫?」
「温めてもらったから、少し楽になりました」
「足は?」
「マツバさんが揉んでくれたから、ふわふわです」
マツバは、微笑んだ。
二度目は、深夜一時半だった。
体勢を変えた。イヨリを仰向けにせず、マツバが布団に背をつけて座り、その上にイヨリを抱き上げた。対面座位。イヨリの身体が軽いから成り立つ体勢だった。この形なら左足に荷重がかからず、イヨリの左目もマツバの顔のすぐ近くにあるから、暗い中でも表情が見える。
「この体勢なら……足も目も、楽だろう?」
「……マツバさん、いつもそうやって考えてくれる……」
イヨリの目に涙が浮かんだ。マツバはそれを唇で拭った。
イヨリがマツバの上にゆっくりと腰を下ろした。重力と蜜の助けを借りて、マツバが深くイヨリの中に入っていく。この体勢では結合が深い。最奥まで届く。
「んっ……♡ 深い……さっきより……深く、入ってます……♡」
「イヨリ……自分のペースで動いて」
「はい……♡」
イヨリが腰を揺らし始めた。小さく、ゆっくりと。前後に、円を描くように。自分の気持ちいい角度を探しながら、マツバの上で身体を揺らす。マツバの手がイヨリの腰を支え、もう片方の手がイヨリの左足のふくらはぎをゆっくり撫でていた。
「あっ……♡ ここ……♡ ここが、一番……♡」
イヨリが見つけた角度で腰を動かすと、マツバの先端がイヨリの内壁の奥にある凸を擦り上げた。イヨリの口から、ひときわ甘い声が弾けた。
「そこ……♡♡ マツバさん、そこ……気持ちいい……♡♡」
マツバはイヨリの動きに合わせて、下から腰を持ち上げた。二人の律動が噛み合い、ぐちゅ、ぐちゅ、と蜜の音が寝室に響いた。イヨリの腕がマツバの首に回り、額と額がくっついた。至近距離で、紫の瞳と茶色の瞳が混じり合う。
「マツバさん……♡ 好き……♡ 大好き……♡♡」
「僕もだ……イヨリ……」
マツバの唇がイヨリの唇を塞いだ。舌と舌が絡み合い、吐息を交換する。イヨリの膣壁がリズミカルに締め付けてきた。絶頂が近い合図だった。
「来る……♡ マツバさん……また……来ちゃう……♡♡」
「いいよ……イきなさい。受け止めるから」
マツバが最奥で腰を止めた。イヨリの身体が痙攣し、膣壁がマツバを律動的に締め上げた。マツバも同時に果てた。精が二度目の熱をイヨリの最奥に注ぎ込んだ。
「あぁっ……♡♡♡ また……あっつい……中に……♡♡♡」
イヨリがマツバの首にしがみついたまま、長い余韻に震えていた。結合したまま、二人の心臓の鼓動が胸越しに伝わり合った。
二度目の休憩。
マツバは洗面所で手拭いを温め、戻ってきた。まずイヨリの左目の上に温かい手拭いを乗せた。
「目を閉じて。温めるから」
「んっ……気持ちいい……」
イヨリが目を閉じたまま、布団の中で身体を伸ばした。マツバはもう一枚の手拭いでイヨリの身体を拭いた。汗と蜜で濡れた肌を、丁寧に。太腿の内側に垂れた白い液体を拭き取る時、イヨリが小さく身じろぎした。
「……恥ずかしい」
「何度しても恥ずかしいの?」
「マツバさんに拭いてもらうのは……何度でも恥ずかしいです……♡」
身体を拭き終えると、今度は左足のマッサージに移った。足首をゆっくり回し、ふくらはぎを指先で辿り、膝裏のリンパを刺激する手拭いで包んだ。
「左目と左足。……僕が守りたいもの二つだ」
「マツバさん……」
「こうして休みを入れながらなら、朝まで一緒にいられるだろう。……無理はさせないから」
「無理じゃないです。……マツバさんとなら、朝までいたい。……本当に」
イヨリが目の上の手拭いを外して、マツバを見つめた。左目はまだ少しぼんやりとしているが、右目がはっきりとマツバを捉えていた。その目が、静かに燃えていた。
「三回目……お願い、してもいいですか」
時計は午前三時を示していた。夜の折り返し地点。ここから先は、朝に向かって時間が加速する。
三度目は、もっとも静かだった。
横向きで、向かい合う体勢。二人とも布団を肩まで引き上げ、温もりの繭の中で抱き合っていた。マツバの右脚がイヨリの両脚の間に差し込まれ、左足に荷重がかからないように支えている。二人の顔が枕一つ分の距離にあり、吐息が互いの唇に触れていた。
マツバがイヨリの中に入った。横向きの体勢では浅い結合になるが、その分ゆっくりと、丁寧に、互いの体温を確かめるように動けた。
「マツバさん……♡」
「うん」
「今日……三回目なのに……まだ、気持ちいい……♡」
「僕も……何度でも、君を感じていたい」
言葉が少なくなっていた。その代わりに、身体が多くを語っていた。マツバの手がイヨリの髪を梳き、頬を撫で、唇をなぞった。イヨリの手がマツバの胸板に触れ、心臓の鼓動を指先で数えていた。
ゆっくりと腰を動かした。くちゅ、くちゅ、と蜜の音が小さく響く。一回目とも二回目とも違う、静謐な律動。快楽を追いかけるのではなく、互いの存在を確認するための行為。
「イヨリ……左目、見えてる?」
「ぼんやり……でも、マツバさんの紫の目が見えます。……それだけで十分です」
「左足は?」
「マツバさんの脚が支えてくれてるから、全然痛くないです……♡」
マツバの額がイヨリの額に触れた。互いの体温が、額越しに融け合った。紫の瞳と茶色の瞳が、暗闇の中でぼんやりと光っている。
「イヨリ……」
「はい……」
「朝が来ても、離さないよ」
「……はい……♡」
三度目の絶頂は、穏やかだった。激しい痙攣ではなく、長い波が身体の芯からゆっくりと広がっていくような絶頂。マツバの精がイヨリの最奥を三度目に満たした時、イヨリは声を上げなかった。ただ、マツバの胸に顔を埋めて、静かに涙を流した。
「泣いてるの?」
「……幸せで」
マツバはイヨリの髪にそっと唇を落とした。
三度目の休憩。
時計は午前四時半を過ぎていた。窓の外の闇が、ほんの僅かに薄くなり始めている。夜明けが近い。
マツバは台所でもう一度白湯を沸かした。今度は蜂蜜を少し溶かした。疲れた身体に糖分を補給するためだ。イヨリが布団の中で身体を起こし、湯呑みを受け取った。
「甘い……おいしいです」
「疲れてない? 身体」
「疲れてますけど……心地いい疲れです。……幸せな疲れ」
マツバはイヨリの後ろに回り、背中から抱きしめた。耳元に唇を寄せて、囁いた。
「左目を閉じて。少し休ませよう」
イヨリが左目を閉じ、右目だけでマツバの腕を見下ろした。マツバの手がイヨリの左目のまぶたの上で円を描くように撫でている。眼球の周りの筋肉をほぐすための、優しい指圧。イヨリの肩からすっと力が抜けた。
「……左足も」
マツバの空いた手が、イヨリの左のふくらはぎを掴んだ。親指で奥の筋肉を捏ね、足首をゆっくり回す。甲を撫で、指を一本ずつほぐしていく。
「マツバさん……本当に器用ですよね。目と足、同時に」
「君の身体の地図は、全部覚えてるから」
「……地図?」
「どこが痛くなるか。どこが疲れやすいか。どこを触れば楽になるか。全部、ここに入ってる」
マツバが、自分のこめかみに指を当てた。千里眼ではなく、記憶。何百回もイヨリの身体に触れてきた指先が記録した、イヨリだけの地図。
「……泣きそう」
「今日何回目?」
「数えてません……♡」
窓の外が、紺色から藍色に変わり始めていた。東の空の端に、朝焼けの前兆がうっすらと滲む。
「マツバさん」
「うん」
「……もう一回だけ」
四度目は、夜明けの中だった。
障子の向こうから、薄い光が差し込み始めていた。行灯の橙色と、朝の藍色が混じり合い、寝室の中に淡い紫色の空気が漂っている。マツバの瞳と同じ色だ、とイヨリは思った。
仰向けのイヨリの上に、マツバが覆いかぶさった。正常位。だが最初とは全てが違っていた。三回分の愛の記憶が身体に蓄積されていて、触れ合うだけで二人の神経が震えた。
マツバがイヨリの左足を持ち上げ、自分の左肩に乗せた。右足は布団の上に伸ばしたまま。左足の膝裏をマツバの肩が支えることで、左足に力を入れる必要がなくなる体勢。
「この形なら、左足は僕が持ってるから。力を抜いていいよ」
「マツバさん……♡」
入った。四度目の結合。蜜と精が混ざり合った膣内は柔らかく、抵抗なくマツバを受け入れた。根元まで沈み込む。
「あっ……♡ まだ……こんなに気持ちいい……♡」
「僕もだよ……何度入っても、イヨリの中は……」
マツバの律動が始まった。ゆっくりと、だが一回目よりもさらに深く。イヨリの身体が三回の交わりで十分に解されていて、最奥まで苦もなく届く。肩に乗せた左足のふくらはぎに唇を落とし、キスをした。
「あっ……足に……キス……♡」
「君の左足に。……僕がいちばん大切にしたい場所に」
「マツバさん……♡♡ そんなこと言われたら……もう……♡♡」
涙が溢れた。何度目かわからない涙。でもこの涙は、痛みでも悲しみでもない。受け入れられている、という実感から生まれる温かい涙だった。左目から流れた涙は少し量が多く、右目から流れた涙は少なかった。左目はいつも余計に泣く。後遺症のせいで涙腺の制御が弱いのだ。その非対称な涙を、マツバは両方の目元に唇で拭った。
「左目も……泣いてるね」
「左目は……マツバさんに甘えるのが得意なんです……♡」
窓の外が明るくなっていった。藍色が薄まり、東の空が紅色に染まり始める。エンジュの町の屋根の向こうに、朝日の最初の光が覗こうとしていた。
腰の律動が深くなった。蜜の水音が寝室に響く。イヨリの声が、朝の光の中で甘く震える。
「マツバさんっ……♡ もう……来ます……♡♡」
「イヨリ……っ、僕も……」
「一緒に……♡ 四回目も……一緒に……♡♡」
朝日が障子を突き破った。
金色の光が寝室に流れ込んだ瞬間に、二人は同時に果てた。マツバの精がイヨリの最奥を四度目に満たし、イヨリの絶頂が全身を駆け抜けた。朝日の中で、二人の影が一つに重なった。
「あぁぁっ……♡♡♡ マツバさん……♡♡♡」
長い、長い余韻が二人の身体を包んだ。結合したまま、朝日の温もりの中で、荒い呼吸が少しずつ穏やかになっていく。
朝。
二人は布団の中で、絡み合ったまま横たわっていた。窓から差し込む朝日が、イヨリの黒髪に金色のハイライトを落としている。
マツバの右手がイヨリの左目の上に、左手がイヨリの左足の上にあった。もう癖だった。イヨリに触れるときは、必ずこの二箇所を守るように手が伸びる。
「……マツバさん」
「ん」
「四回です」
「数えてたの」
「数えてました。……で、四回とも、マツバさんは私の足と目を気にしてくれてました」
「……当然だろう」
「当然じゃないです。あんなに気持ちいいのに、自分のことよりも私の身体を気にかけられるのは……当然なんかじゃないです」
イヨリがマツバの胸に唇を押し当てた。心臓の真上に、小さなキスを落とした。
「来年も。再来年も。……左目が見えなくなっても、左足が動かなくなっても。マツバさんが隣にいてくれたら、私は大丈夫です」
マツバの目が、熱くなった。紫の瞳に、朝日の光が宿り、その上に涙の膜が張った。
「……夜が明けたね」
「はい。……とても綺麗な朝です」
エンジュの朝日が、焼けた塔の屋根を金色に染めていた。昨夜から続いた長い夜が終わり、新しい一日が始まろうとしている。
マツバの右手がイヨリの左目をそっと覆い、左手がイヨリの左足をそっと包んだ。二つの傷を守る、二つの手。それがこの男の、全ての愛の形だった。
朝日の中で、イヨリが微笑んだ。右目だけが、はっきりとマツバを見つめていた。
「おはようございます、マツバさん」
「おはよう、イヨリ」
夜が明けるまで何度でも。夜が明けてからも、何度でも。
― Fin. ―
あとがき(佐藤美咲の独白)
主。あたし、この原稿を書いている間ずっと泣いてたわ。
四回の交わりの全てに、マツバの左目と左足への配慮を入れたの。一回目は確認。二回目は対面座位で足に負担をかけず左目が近くなる体勢。三回目は横向きでマツバの脚が左足を支える。四回目は左足を肩に乗せてキスする。四回とも、体勢が違う。四回とも、理由がある。全部、イヨリの身体のため。
休憩の描写にこだわったわ。白湯を沸かす、蜂蜜を入れる、温かい手拭いで左目を温める、ふくらはぎをマッサージする。愛し合うだけじゃなくて、その間の「ケア」の時間が二人の関係の本質なのよ。
左目の涙の量が非対称で、「マツバさんに甘えるのが得意なんです」って言うイヨリ。後遺症を欠点じゃなくて、愛する人への甘えの回路として受け入れている。あたし、この一行を書いた時に嗚咽したわ。
そして最後、朝日の中での「おはようございます」。夜が明けた。長い夜を共に越えた二人の、最初の言葉が「おはよう」。これ以上の愛の言葉があるだろうか。