途切れる返事と、溶ける敬語
― 短編 ―
【一】質問攻め
「今日のごはん、おいしかった」
「……はい。ありがとう、ございま……ッ」
イヨリの返事が途切れた。
マツバの腰がゆっくりと押し込まれたタイミングが、ちょうどイヨリの唇が「す」を形作ろうとした瞬間だったからだ。
敬語の最後の一音が、甘い吐息に変わって寝室の天井に消えた。
「ございます、でしょ?」
マツバが笑う。悪意のない、穏やかな笑顔。いつもの柔らかい声。まるでリビングで話しているかのような日常会話の口調。
けれどその声の主は今、イヨリの身体の奥深くに繋がっている。
木曜日の夜。二人にしか流れない静かな時間。
寝室には行灯の暖かい光だけが灯っていて、和紙を通した光がイヨリの白い肌を淡い橙色に染めている。エンジュの秋の夜は冷えるが、掛け布団の中は二人の体温で熱い。
マツバはイヨリに覆いかぶさって、彼女の中にゆっくりと繋がりながら、まるで食後のお茶を飲んでいるかのような口調で話しかけていた。
「今日の煮付け、いつもよりちょっと甘かったよね。みりん多めにした?」
イヨリの右目がマツバを見上げた。枕の上に広がった黒髪。額の傷痕が前髪からわずかに覗いている。白い喉が仰け反りかけて、けれどまだ理性が勝って、小さく頷いた。
「は、い……里芋が、煮崩れし、やすかったので……あっ……くず、れないように、甘めに……んっ♡」
途中で声が跳ねた。マツバが角度を変えて、奥の壁を擦り上げたから。
イヨリの両手がシーツを掴み、右足の指が丸まった。左足はアステアを外しているから動かないが、その分、右足に全部の快感が集中するかのように、白い足指がきゅっと内側に曲がる。
「煮崩れないように。なるほど。だから落し蓋じゃなくてクッキングペーパーだったんだ」
マツバはイヨリの中に留まったまま、腰を微かに動かしながら頷いた。千里眼は使っていない。使わなくても、イヨリの身体の反応は全部わかる。繋がっている部分の圧力が微妙に変わる。膣壁が収縮する場所が変わる。それだけで、今イヨリがどこを気持ちいいと感じているかが手に取るようにわかる。
けれどマツバが千里眼よりも好きなのは、イヨリの「声」を聞くことだった。
「ちなみに、出汁は何で取った?」
イヨリが困った顔をした。気持ちいい顔と困った顔が混ざった、とても複雑な表情。眉が下がって、頬が紅く染まって、唇が半開きで、でも真面目な目がマツバを見ている。
質問されたから答えなくては、という生真面目さ。ポケモンドクターとしての、誰に対しても誠実に応じるあの姿勢が、ベッドの上でも健在なのだ。
「か、つおと、昆布の……合わせ、だ……あっ♡♡ ん、んんっ♡」
マツバが小さく腰を突き上げるたびに、丁寧語が砕けていく。句読点がおかしな場所に入る。イヨリは几帳面な人だから、普段の文章は完璧に整っている。メールもカルテも、一点の乱れもない。その几帳面さが、快感に浸食されて崩壊していく過程が、マツバにはたまらなく愛しい。
「合わせ出汁ね。花かつおは僕が昨日削ったやつ?」
「は、い……マツバさんが、削って……くだ、さった……あぁっ♡ やっ♡ そこっ……」
「そこ? ここのこと?」
マツバの腰がくるりと回るように角度を変えた。子宮口のすぐ手前、イヨリが一番感じる場所を、わざとゆっくり往復させる。往きと帰り。往きで押して、帰りで引く。その度にイヨリの中がきゅうっと締まって、マツバの理性も削られていくけれど、それは表に出さない。
「ひゃっ♡♡ そ、そこ、です……! あ、あっ……!」
「ねえ、花かつおの厚さ、ちょうどよかった? 薄すぎると出汁が出すぎて雑味が出るでしょ」
イヨリの右目に涙が滲んだ。気持ちよくて泣いているのではない。いや、気持ちいいのもあるけれど、それ以上に、この人はどうしてこんな状況でお料理の質問をしてくるんだろう、という感動に近い困惑が涙腺を刺激しているのだ。
「ちょ、ちょうどよ……あっ♡ よかっ……んんっ……ち、厚さはっ……ぁ♡♡」
「厚さは?」
「零……零点二、ミリ……ぁぁっ♡! でっ、ちょうど……よかった、です♡♡」
マツバの目が細まった。嬉しそうに。猫が陽だまりで目を細めるように、純粋に嬉しそうに。
零点二ミリ。料理の合間にそんな数値まで計測しているイヨリの几帳面さが愛しい。そしてその几帳面な回答を、喘ぎ声混じりに絞り出しているこの状況が、世界で一番美しいと思う。
「ありがとう。零点二ミリね。覚えておくよ」
マツバがイヨリの額にキスを落とした。傷痕に唇が触れる。イヨリの身体がびくんと跳ねた。額の傷痕はイヨリにとって最も他人に見せたくない場所であり、同時にマツバに触れてもらうと一番安心する場所でもある。
「……ず、ずるいです」
「何が?」
「こ、こんなことしながら……お料理の、話……するの……ずるい、です……あっ♡」
「だって聞きたいんだもの。イヨリの話を聞くのが好きなんだ」
嘘のない声だった。
マツバはイヨリと話すのが好きだ。どんな話題でもいい。天気のこと、今日診た患者のこと、ロトムの分析結果のこと、スーパーで安かった野菜のこと、読みかけの本のこと。イヨリの声を聞いていると、世界が完成する気がする。世界の欠落部分が、イヨリの声で埋まっていく。
「イヨリが話してる声を、もっと近くで聞きたいんだ」
繋がったまま。身体の一番奥で。イヨリの声が骨を伝って響く場所で。
「だから、もう少し話をしよう?」
マツバの腰が、ゆうるりと動く。引いて、押して。深くはない。浅くもない。イヨリの容量にぴったりの深さで、一番気持ちいいポイントを往復する。
イヨリの右手がマツバの背中に回った。和装を脱いだ素肌の背中に、細い指が触れる。爪が薄く食い込みかけて、でも「傷つけてはいけない」という生真面目さが爪を引っ込める。
マツバは知っている。イヨリが爪を立てたいのを我慢していることを。医師の手だから。診察する手だから。彼女は自分の手で人を傷つけることを極端に恐れる。
「いいよ、爪立てても」
「……だ、だめです」
「僕の背中だよ。君の好きにしていい」
「ダメ、です……あっ♡♡ だって、マツバさんの、お肌が……きれいだから……あぁっ♡」
「イヨリの方がよっぽど綺麗だよ」
マツバの右手がイヨリの横腹を撫でた。掛け布団の中で、互いの体温が混ざり合っている。イヨリの肌は白くて柔らかくて、指が吸い込まれるようだ。鎖骨から胸の谷間を通って、臍の下まで。ゆっくりと指を滑らせるたびに、イヨリの身体がぴくんぴくんと反応する。
* * *
【二】逃げられない教室
「ところで」
マツバの声は相変わらず穏やかだ。腰の動きが少しだけ速くなったことに、当人が気づいているかどうかは定かではない。
「明日の往診、何件だっけ」
イヨリが目を見開いた。この状況で往診のスケジュールを聞いてくるこの男が、心の底から好きだと思うと同時に、もう少しこの状況に集中してほしいとも思う。
けれどイヨリは医師だ。患者のスケジュールを聞かれたら、反射的に答えてしまう。
「さ、三件……です。午前に……あっ♡ ポッポの羽根の……検診と……んっ♡♡ ドーブルの、色素、沈着の……やぁっ♡」
マツバの腰のリズムが、イヨリの回答のリズムに合わせて変化している。イヨリが答えようとするたびに、少しだけ深く突く。答えの句読点のたびに、角度を変える。イヨリが単語を発音しようとした瞬間を狙って、子宮口を軽くノックする。
意地悪。この人は、意地悪だ。
「ドーブルの色素沈着? 去年から診てた子?」
「は、い……あの、子……ッ♡ 経過、観察……で……あぁっ♡♡ マツバ、さんっ……!もう、お話……むり……っ♡」
「むり? どうして?」
知ってて聞いてる。その涼しい顔で。紫色の瞳が行灯の光を反射して、金色に見える瞬間がある。その目でイヨリを見下ろしながら、腰だけは確実にイヨリの弱点を突き続けている。
「き、気持ちっ……よすぎて……頭が……お話……ぅ♡♡」
「気持ちいいところと、お話するところは、別の器官でしょ」
ドクターに医学的な正論をぶつけてくる男。イヨリは泣きそうな顔で笑った。笑おうとして、でも笑いが喘ぎに変わって、喘ぎが涙に変わった。
「それ、は……そう、ですけど……あっ♡ でもっ♡ 脳のっ……処理、が……んっ♡♡♡ 追いつ、かないっ……です……♡」
「脳の処理が追いつかない。なるほど。つまり今、イヨリの脳は僕のことで処理能力の大半を使ってるってこと?」
「そ、そう……です……♡ マツバさんの、ことで……あたま、いっぱい……で♡♡」
「嬉しいな」
マツバの声が低くなった。穏やかさの底に、熱の芯が通った声。
その声を聞いた瞬間、イヨリの中がきゅうっと締まった。マツバの低い声は、イヨリの身体にとってスイッチのようなものだ。その声が耳に入ると、脳が溶ける前に身体が先に反応してしまう。
「……イヨリ」
呼び捨てに切り替わった。
「ちゃん」が消えた瞬間、イヨリの心拍数が跳ね上がった。
「は、い……」
「三件目の往診は何?」
まだ聞くんですか。
イヨリの右目が、潤んだまま信じられないという顔をマツバに向けた。この人は本当に、本当に、自分との会話が好きなのだ。繋がって、奥を突いて、イヨリの身体を蕩かしながら、それでもイヨリの「言葉」が聞きたいのだ。
「さ、三件、め……は……あっ♡ あぁっ♡♡ マツバ、さ……ッ!」
マツバの腰が深く沈んだ。今までで一番深い一突き。イヨリの背中が弓なりに反り返り、声が裏返った。
「ん……! あ、あのっ……さん、けんめ……♡♡ ニドリーノの……歯、の……ひゃぁっ♡♡♡」
「ニドリーノの歯? 乳歯の生え替わり?」
「は、い……ッ♡ 生えっ……替わり、がぁ……ッ♡♡ 遅、くてぇ……あっ♡ あっ♡♡ あっ♡♡♡」
マツバの動きが加速していた。もう穏やかな散歩のリズムではない。イヨリの回答を聞くたびに、嬉しくなって、嬉しさが腰の動きに直結している。イヨリが喘ぎ混じりに仕事の話をしてくれるのが、マツバにとっては最高の媚薬なのだ。
だってそれは、イヨリの日常だから。イヨリが毎日向き合っている患者の話だから。イヨリが生きている証だから。マツバの隣で、マツバと一緒の街で、マツバの知らない場所でも一生懸命生きているイヨリの声を聞くと、胸の奥が熱くなって、腰が止まらなくなる。
「遅いのか。それは心配だね。痛がってない?」
「い、たがって……ッ♡♡ ないで、す……こっちのが……痛っ……ぅぅん♡♡♡ ちが、います……痛くない、です……きも、ちいい……です♡♡」
イヨリの言葉がぐちゃぐちゃになっている。ニドリーノの話と自分の身体の感覚が混線して、主語が迷子になっている。マツバはそれが可愛くて仕方がなかった。
「どっちの話? ニドリーノ? それともイヨリ?」
「わ、わかん……ないっ♡♡ もうっ♡ わかんないですっ♡♡ マツバさんのっ……ばかぁっ♡♡♡」
「ばか」。イヨリの口から「ばか」が出た。
マツバの目がきらりと光った。嬉しい。イヨリが敬語を崩してくれるのが、マツバにとっては最高級の信頼の証なのだ。
* * *
【三】溶けた敬語
「ばかって言ったね」
マツバの声が、熱を帯びたまま笑っていた。悪ガキのような笑顔。いたずらっ子のような目。けれど腰の動きは正確に、精密に、イヨリの子宮口を突き続けている。
イヨリの右目から涙が溢れた。気持ちいいのと、恥ずかしいのと、愛しいのが全部混ざった涙。口が敬語を取り戻そうとして、でも取り戻しきれない。
「ご、ごめんなさ……ッ♡ ばかって、言っちゃ……あっ♡ いけ、ません……でした……ぁ♡♡」
「謝らなくていいよ。もっと言って」
「えっ……」
「もっと崩していいよ。敬語じゃなくていい」
マツバの手がイヨリの頬を包んだ。涙を親指で拭って、額の傷痕にもう一度キスを落とす。繋がったまま。奥を押しつけたまま。イヨリの中で脈打ちながら。
「イヨリの素の声が聞きたい」
イヨリの胸がきゅっと痛んだ。
素の声。マツバはいつも、それを欲しがる。イヨリが社会に向けて纏っている鎧を一枚ずつ剥がして、一番柔らかい場所を見たがる。千里眼があれば見えるのに、そうじゃなくて、イヨリ自身の声で語ってほしいのだ。
「……マツバ、さん」
「うん」
「い、じわる……」
「うん」
「えっちしながら、お話……するの……ずるい……」
「うん。ずるいよ。僕はずるい男だよ」
「……わたし……話、したいのに……声が……」
「声が?」
「声がっ……喘い、じゃうの……♡♡ 答えようと、すると……気持ちいのが……来てっ……声がっ……ぁ♡♡♡」
イヨリの敬語が崩れていく。「です」が消え、「ます」が消え、語尾が溶けて、生のイヨリの声が零れ落ちてくる。マツバの腕の中で、ポケモンドクターの白衣が脱げるように、丁寧語という白衣が剥がれ落ちていく。
「気持ちいいのが来る? どこに?」
「おな、かの……おくっ♡♡ マツバさんが……ぐりぐりって……する、と……おくがっ♡♡♡ きゅっ……てぇ……♡」
マツバの手がイヨリの腰を掴んだ。両手で華奢な腰骨を固定して、角度を変えた。イヨリの身体が持ち上がりかけて、その瞬間、子宮口の真下を擦り上げるように突き上げた。
「ひゃぅっ♡♡♡♡」
イヨリの背中が跳ね上がった。声が猫のように高く裏返って、両手がマツバの肩にしがみついた。
「ここ?」
「そ、そこぉっ♡♡♡ そこですっ♡♡ あぁぁっ♡ やだっ……やだぁ♡♡ そこされると……頭……っ♡♡」
「頭が?」
「頭がっ……! 真っ白に……なっちゃ……ぅ♡♡♡♡」
マツバはその場所から動かなかった。同じ角度で、同じ深さで、同じリズムで。イヨリの一番甘い場所だけを、丁寧に、執拗に往復させ続けた。
「ねえ、イヨリ」
まだ話す。この男は、まだ話す。
「今日のハーブティー、何だった? 夕食後に淹れてくれたやつ」
イヨリの目が点になった。一瞬。ほんの一瞬だけ、快感の波が引いた隙間に、「え、今ですか?」という表情が浮かんだ。
けれどイヨリは答える。答えてしまう。聞かれたら答えてしまうのが、この女の性だ。
「カ、カモミール……にっ♡ レモンバームと……あっ♡♡ パッション、フラワーを……ぁぁ♡♡♡ ブレンドッ♡♡♡♡」
声がメチャクチャだった。ハーブの名前と喘ぎ声が交互に出てくる。カモミールの次に嬌声。レモンバームの次に吐息。パッションフラワーの次に蕩けた叫び。
「パッションフラワー。リラックス効果があるんだっけ」
「は、い……ぃ♡♡ 鎮静、作用……がっ♡♡ あってぇ♡♡ 不眠にもっ……んっ♡♡♡」
「じゃあ、効いてないね」
マツバが笑った。
効いてない。リラックスどころか、イヨリの身体は蕩けて溶けて、脳の処理能力は壊滅的に崩壊している。カモミールの鎮静効果もレモンバームの抗不安作用も、マツバの腰の前では無力だ。
イヨリも笑った。笑おうとして、でも笑いが喘ぎに変わって、喘ぎが甘い嗚咽に変わった。
「効いて、ないっ……♡♡ マツバさんのっ……ばかぁ♡♡♡」
二度目の「ばか」。
マツバの目がとろんと蕩けた。その一言が、マツバの全身を甘い痺れで満たした。
「ばかって二回も言ってくれた」
「だってっ……ばか、なんです……もの……♡♡ えっちしながら……ハーブティーの……成分、聞くっ……人……♡♡ いない、ですっ♡♡♡」
「いるよ。ここに」
マツバがイヨリの頬の涙を舐め取った。塩味と、イヨリの味がした。甘い。泣いているのに甘い。この女の涙は塩辛くないのだ。感情が甘ければ、涙も甘くなる。
「もう一つ聞いていい?」
「むり……もう、お話……むりぃ♡♡♡」
「一つだけ」
マツバの動きが止まった。
唐突に。イヨリの一番奥に押しつけた状態で、ぴたりと動きが止まった。
中で脈打つ圧迫感だけが残る。動かないのに、存在感だけで頭がどうにかなりそうだ。
「ひっ……♡ と、止まっ……止まらないでっ♡♡」
「一つだけ質問に答えてくれたら、動くよ」
卑怯。この男は、世界一卑怯だ。
イヨリは涙を溜めた目でマツバを睨んだ。睨んだつもりが、まったく睨めていない。潤んだ目と赤い頬と半開きの唇で睨んでも、それは「もっと触って」というお願いにしか見えない。
「……な、なんですか……」
唇を噛んで。精一杯の虚勢を張って。
イヨリの生真面目さが、質問を待つ姿勢を作った。腰の奥に乱暴な圧迫感を抱えたまま、それでも「聞かれたら答えます」という医師の矜持が、この女を律している。
マツバが微笑んだ。行灯の光に照らされた紫の瞳が、世界で一番柔らかい色をしていた。
「僕のこと、好き?」
イヨリが固まった。
一秒。二秒。三秒。
それから、涙がぼろぼろと溢れた。
「……す、き……」
敬語ではなかった。
「すき……マツバさんが、すき……」
「です」も「ます」も、どこにもなかった。
ただの素の声。ただの本音。鎧を全部脱いだ、イヨリという女の、生まれたままの言葉。
マツバの腰が動いた。
深く、強く。けれど乱暴ではなく。イヨリの身体を知り尽くした男の、精密で、丁寧で、どこまでも優しい一突き。
「ぁああっ♡♡♡♡」
イヨリの全身が弓なりに反り返った。声が天井に突き抜けた。マツバの背中に右手の爪が食い込んだ。今度は我慢しなかった。引っ込めなかった。
マツバの背筋に五本の赤い線が刻まれた。
「僕もだよ」
マツバの声が震えた。穏やかな仮面が、初めて揺らいだ。
「僕もイヨリが好きだ。世界で一番」
その声が引き金だった。
イヨリの中が激しく収縮し、腰が跳ね上がり、全身の筋肉が一斉に弛緩と緊張を繰り返した。潮が吹き出す感覚が下腹部から広がり、止められないまま、マツバごと飲み込むように絶頂が押し寄せた。
「あっ♡♡ イくっ♡♡ イくっ♡♡♡ マツバさんっ♡♡ すきっ♡♡ すきすきすきぃっ♡♡♡♡♡」
マツバがイヨリを抱きしめた。腕の中で痙攣する小さな身体を包み込んで、自分も限界だった。イヨリの中で果てた瞬間の熱さが、二人の間を溶かして混ぜた。
余韻が長かった。
波が繰り返し来るように、イヨリの身体が小さく震えるたびに、マツバも一緒に震えた。同期している。呼吸も心臓も、同じリズムで動いている。
* * *
【四】枕元のカルテ
どれくらい経ったのか。
マツバはイヨリに繋がったまま、彼女の髪を梳いていた。行灯の光が和紙越しにゆらゆら揺れて、二人の影が壁に重なっている。
「ねえ」
マツバの声は、もう穏やかに戻っていた。嵐の後の凪のような、静かで透明な声。
「……はい」
イヨリの声は、まだとろとろだった。脳みそが溶けきった「ふにゃイヨ」状態。敬語を使おうとしているけれど、舌が回らない。
「さっきのドーブルの色素沈着、進行性?」
イヨリが一瞬だけ瞬きをして、それから小さく吹き出した。
笑った。枕の上で、涙の跡が残った頬で。蕩けきった頭で。繋がったまま。
「……マツバ、さん」
「うん?」
「あなたは……ほんとうに……わたしと、お話するのが……好きなんですね……」
マツバは少し考えた。それから、頷いた。
「世界中の誰よりも、イヨリの声が好きだ」
嘘ではない。千里眼で世界中の声を拾おうと思えば拾える。けれどそのすべてを遮断してでも聞きたい声は、腕の中にある。
「だから、えっちの最中でもお話するんですか……?」
「うん」
「迷惑では、ないですか……? わたし、途中で喘いじゃって……きちんとお答え、できなくて……」
「迷惑?」
マツバが驚いたように目を見開いた。
「喘ぎながら答えてくれるイヨリが、世界で一番可愛いんだよ」
イヨリの顔が真っ赤になった。絶頂の余韻で火照った肌が、さらに赤く染まった。
「か、可愛くないです……めちゃくちゃでした……」
「めちゃくちゃだったところが可愛いんだよ。カモミールの話の途中で喘いだり、ニドリーノの話と自分の感覚が混ざったり」
「……聞こえてたんですか、全部」
「全部聞いてたよ。イヨリの声は一音も聞き逃さない」
マツバの指がイヨリの唇に触れた。さっきまで敬語と喘ぎ声がめちゃくちゃに混ざっていた唇。その唇の形が、マツバには世界一美しく見える。
「ねえ、イヨリ」
「……はい」
「ドーブルの色素沈着」
「……進行性、です。外部因子が……疑わしいので、明日のスキン、ランプ検査で……」
イヨリはまた答えている。
蕩けきった身体で。マツバの腕の中で。繋がったまま。まだ中に彼の温もりが残っているのに。それでも質問されたら答えてしまう。
マツバが我慢できなくなって、イヨリの言葉を唇で塞いだ。
長いキス。
答えかけた「検査」の「さ」の音が、マツバの口腔の中に消えた。
イヨリの右手がマツバの金髪に伸びて、指を絡ませた。
キスが終わったとき、イヨリは潤んだ目でマツバを見上げた。
「……回答の途中、でした」
「ごめん。可愛すぎてキスしちゃった」
「……もう」
イヨリの唇が、小さく膨らんだ。むくれている。むくれているけど、その目は笑っている。
「マツバさん」
「うん」
「今度は……わたしから、質問しても……いいですか……?」
マツバが目を丸くした。
「もちろん」
イヨリはマツバの胸に頬を押しつけて。心臓の音を聞きながら。まだとろとろの声で。
「わたしのこと……好きですか」
マツバが笑った。
さっき自分が聞いた質問を、そのまま返されて。
「好きだよ」
「もう一回」
「好きだよ、イヨリ」
「もう一回……」
「好きだよ。世界で一番好きだよ。明日も、明後日も、来年も、十年後も。イヨリが何歳になっても。髪が白くなっても。僕はイヨリと話すのが好きで、イヨリの声が好きで、イヨリが好きだ」
イヨリの右手がマツバの胸をとんとんと叩いた。嬉しくて、くすぐったくて、恥ずかしくて、泣きそうで。全部の感情が一度に来て、処理しきれなくて。
「……わたしも」
「うん」
「わたしも、マツバさんが好きです。お話するのが好きです。……えっちの途中で、お料理のこと聞いてくるの……嫌いじゃ、ないです……」
マツバの胸の中で、何かが弾けた。花火のように。
「本当?」
「本当です。だって……」
イヨリがマツバの胸から顔を上げた。涙の跡と、赤い頬と、蕩けた瞳と、笑顔。
「答えようとして、喘いじゃうの……恥ずかしいけど……マツバさんが嬉しそうなのが……嬉しい、から……」
マツバは何も言えなかった。
言葉の代わりに、イヨリの額に唇を押しつけた。傷痕の上に。長く、長く。
行灯の火が揺れた。秋の虫が庭で鳴いている。遠くの焼けた塔の影が、窓の向こうに見える。
やがてイヨリの呼吸が穏やかになった。パッションフラワーの鎮静効果が、やっとマツバの腕の中で効き始めたのかもしれない。
「……眠い」
「寝ていいよ」
「でも……ドーブルの……答え……」
「明日聞くよ。明日の夜」
「明日の夜も……こうするんですか……?」
「するよ」
「……また、質問攻めですか」
「するよ」
イヨリが小さく笑って、マツバの胸に額を押しつけた。
マツバの心臓の音が、子守唄の代わりに鼓膜を満たす。
「……おやす、みな、さい……」
その語尾の「さい」が途中で途切れて、静かな寝息に変わった瞬間、マツバの右手がイヨリの髪を優しく撫でた。
「おやすみ、イヨリ」
枕元のアステアが微かに光った。ロトムが起動している。
『行為時間:二時間十七分。絶頂回数:四回。会話ターン数:四十三回。マツバの質問カテゴリ内訳——料理三件、明日のスケジュール三件、ハーブティー一件、その他(愛の告白)一件ロト。特筆すべきは、イヨリの敬語崩壊タイミング……』
マツバが無言でアステアの画面をタップして、ロトムの報告を消した。
データにできない夜がある。
数値にできない声がある。
分析できない愛がある。
ロトム。これだけは、お前のAIでは処理できないよ。
マツバは布団をイヨリの肩までかけ直して、彼女の寝顔にもう一度キスを落とし、自分の目を閉じた。
明日の夜も、イヨリに話しかけよう。
何の話でもいい。
夕飯のこと。患者のこと。天気のこと。好きということ。
イヨリが答えようとして、途中で喘いで、敬語が崩れて、素の声が漏れて、最後に「ばか」と言ってくれるなら。
マツバは世界で一番幸せな男だ。
明日も、明後日も、ずっと。
― 了 ―
あとがき by 佐藤美咲
書いた。書ききったわ。えっちの最中にお料理の段取りと往診のカルテ内容を聞いてくるマツバと、それに喘ぎながら答えようとして完全崩壊するイヨリの、甘々いちゃらぶ「質問攻め」セックス。
ポイントは、マツバが「意地悪」で質問しているだけじゃなく、「本当にイヨリの日常の話を聞くのが好き」っていうところよ!自分の知らないところで頑張っているイヨリの姿を、一番肌が触れ合っている瞬間に声に出して聞きたいのよ。愛が深すぎる。
そしてイヨリの生真面目さね。ドクターだから質問されたら答えちゃう。カモミールの鎮静効果を解説しつつ、身体は完全にパニックになってるのが可愛すぎる。「ばか」って二回も敬語崩壊させて、最後は「すき」って素の声で泣いちゃうところ、書いてて悶え死にそうだったわ。
最後のロトムはオチ要員だけど、「データにできない愛がある」っていうマツバの心情で綺麗に締まったわね。明日の夜もきっと質問攻めよ。永遠にいちゃいちゃしてなさい!!!!