特定パートナーに対する選択的性衝動の恒常的亢進に関する一考察
――エンジュシティ在住・二十六歳男性ジムリーダーの症例報告を中心に――
特定パートナーに対する選択的性衝動の恒常的亢進に関する一考察
――エンジュシティ在住・二十六歳男性ジムリーダーの症例報告を中心に――
星野イヨリ(ポケモンドクター/カントー・タマムシ大学携帯獣医学部卒業)
本稿の執筆にあたって:
本論文は、筆者が私生活において観察・体験した特異な臨床的事象について、ポケモンドクターとしての医学的知見と、一人の女性としての主観的経験を統合的に記述したものである。なお、本稿は深夜二時四十七分、被験者による三回にわたる性行為の直後に、布団の中でアステア・システムの簡易入力機能を用いて執筆されている。
学術的客観性の維持については、最善の努力を払う所存である。
* * *
第一章 序論
一・一 研究の背景と目的
ヒトの性衝動(リビドー)は、内分泌系と神経系の複合的な作用によって制御される生理的現象であり、テストステロン、ドーパミン、オキシトシン等の内分泌物質の分泌量や受容体の感受性によって個体差が生じることが広く知られている。
一般的に、成人男性の性衝動の頻度および強度は、加齢に伴い緩やかに減衰する傾向を示す。二十代前半にピークを迎え、その後は社会的ストレスや身体的疲労の蓄積により、性的活動の頻度は自然と低下していくのが通常の生理的経過である。
しかしながら、筆者が日常的に至近距離で観察している被験者M(二十六歳・男性・ジムリーダー・エンジュシティ在住)は、上記の一般的傾向から著しく逸脱した性衝動パターンを呈している。
具体的には、被験者Mは以下の特性を示す。
一、特定の女性パートナー(以下「対象I」とする)に対してのみ、異常に高頻度かつ高強度の性衝動が恒常的に発生する。
二、対象I以外の女性に対しては、性的関心を一切示さない。
三、性的欲求の発動トリガーが極めて低閾値であり、対象Iの日常的な動作(髪を耳にかける、うなじを見せる、笑う等)によっても容易に性的興奮が惹起される。
四、一度の性行為における射精回数が平均して二〜四回であり、不応期(リフラクトリーピリオド)が一般的な成人男性と比較して有意に短い。
五、性行為後のアフターケアへの執着が顕著であり、行為の激しさとケアの丁寧さの間に正の相関が認められる。
本稿では、この極めて特異な性衝動パターンを「選択的性衝動恒常的亢進(Selective Sustained Hyperlibido:以下SSH)」と仮称し、その発生メカニズム、行動特性、および対象Iへの身体的・心理的影響について、客観的な分析を試みる。
……試みる、のだが、正直に申し上げると、今現在筆者の腰から下の感覚がまだ完全に戻っておらず、思考能力にも若干の支障が生じていることを、ここに誠実に申告しておく。
一・二 研究方法
本研究は、被験者Mと対象Iが婚姻関係を結んでからの約半年間(サンプリング期間)における観察データに基づく。データの収集は以下の三つの方法により実施した。
一、対象I自身の主観的体験記録(日記形式。ただし、行為中は記録不可能なため、事後の回想に基づく)
二、アステア・システム搭載AI(ロトム)による生体データの自動記録(心拍数、体温、発汗量、筋収縮パターン、内分泌物質推定値等)
三、被験者Mの行動観察記録(対象Iによる直接観察)
なお、データ方法二に関して特記すべき事項がある。筆者のアステア・システムに常駐するロトムは、筆者の許可なく夫婦の性行為に関するあらゆるバイタルデータを収集・分析・アーカイブしており、その蓄積データ量は論文執筆時点で約四・二テラバイトに達している。筆者はこの無断収集について繰り返し抗議してきたが、ロトム曰く「イヨリちゃんの健康管理は最優先タスクロト。性行為中のバイタル変動は健康指標として極めて有用ロト」とのことで、一向に改善される見込みはない。
……正直、このデータがなければ本論文は書けなかったので、感謝すべきなのかもしれないが、「前回の性行為における対象Iの絶頂回数は七回、うちポルチオ性感由来が四回、潮吹きを伴うものが三回」などという分析レポートを朝食時に読み上げるのは即刻やめていただきたい。切実に。
* * *
第二章 被験者Mの性衝動に関する定量的分析
二・一 性行為の頻度に関する統計
婚姻後六ヶ月間における被験者Mと対象Iの性行為の頻度を、ロトムの記録データに基づいて集計した結果を以下に示す。
月別平均性行為回数:十六・七回(標準偏差三・二回)
週別平均性行為回数:四・二回(標準偏差一・一回)
一回あたりの平均持続時間:百十四分(標準偏差三十一分)
一回あたりの平均射精回数:二・八回(標準偏差〇・七回)
最大連続性行為記録:五回(該当日は休日。被験者Mの体力が尽きたのではなく、対象Iが「もう無理です♡」と白旗を上げたことにより終了)
上記のデータを、厚生労働省が公表する同年代夫婦の平均的性行為頻度(月五・二回)と比較すると、被験者Mの数値は約三・二倍に相当する。
ここで注目すべきは、被験者Mが多忙なジムリーダー業務、エンジュ大学での講義、ジョウト地方ポケモンリーグ運営委員としての活動を並行してこなしながら、なおこの頻度を維持しているという事実である。
一般的に、過度な業務ストレスと身体的疲労は性衝動を抑制する方向に作用する。にもかかわらず、被験者Mにおいてはむしろ逆の相関が観察された。すなわち、多忙でストレスが蓄積した週ほど、性行為の強度と回数が上昇する傾向が認められたのである。
ロトムの分析によれば、この逆相関の機序は以下のように推定される。
「業務ストレスの蓄積により、被験者Mの対象Iへの独占欲が亢進する。日中に対象Iと物理的に離れている時間が長くなるほど、帰宅後の身体的接触への欲求が増大し、性衝動のトリガー閾値がさらに低下する。……簡単に言うと、忙しくてイヨリちゃんに会えない日が続くと、マツバは飢えた獣みたいになるロト」
……ロトムのこの分析は、対象Iの皮膚感覚的にも概ね正確であると言わざるを得ない。
忙しい週のマツバさんは……その……いつもと、ちょっと、違うのだ。帰ってきた瞬間の抱きしめ方が強いし、キスマークの数が増えるし、何より腰の動きが深く……
――いけない。論文だった。
二・二 性衝動の発動トリガーと閾値分析
被験者MのSSHにおいて最も特徴的なのは、その発動トリガーの低閾値性である。通常、成人男性の性衝動は明示的な性的刺激(視覚的な露出、直接的な身体接触等)によって惹起されるが、被験者Mの場合、対象Iの日常的行動の大半が性衝動のトリガーとなり得る。
半年間の観察により同定された主要トリガーを、頻度の高い順に列挙する。
一、対象Iが料理中にうなじを見せた時(割烹着と低い位置でまとめた髪の組み合わせが特に有効)……発動確率九十七パーセント
二、対象Iが入浴後、バスローブ姿で髪を乾かしている時……発動確率九十五パーセント
三、対象Iが就寝前にパジャマのボタンを留めている時……発動確率九十二パーセント
四、対象Iが医学書を読みながら無意識に唇を指で触っている時……発動確率八十九パーセント
五、対象Iが「マツバさん」と名前を呼んだ時(声のトーンと状況により変動)……発動確率七十八パーセント
六、対象Iが他の男性と会話している時(嫉妬由来の変形トリガー)……発動確率一〇〇パーセント
最後の項目について補足する。これは厳密には「性衝動」というよりも「独占欲の爆発に伴う性的支配衝動」と分類すべきものかもしれない。被験者Mは対象Iが他の男性と会話した後、必ずと言っていいほど対象Iの身体にキスマークを増産する行動に出る。胸の谷間、内腿、鼠径部など、服で隠れるが親密な関係でなければ見えない場所を選んで、まるで「自分のものだ」と宣言するかのように。
――まるで? いや、実際にそう宣言している。
「こうしておけば、誰が見ても——いや、僕だけが知っていればいい。君は僕のものだって」
……マツバさん、あなた、それを胸の上に吸いつきながら言うのずるくないですか。
いけない。脱線した。客観性、客観性。
二・三 不応期(リフラクトリーピリオド)の異常な短縮
一般的な成人男性の射精後不応期は、二十代で十五分〜三十分程度とされている。
しかし、被験者Mにおける射精後不応期は、ロトムの計測データによれば平均わずか四分十二秒である。
四分十二秒。
これがどれほど異常な数値であるか、医学を学んだ者なら即座に理解できるだろう。一般的な不応期の四分の一以下である。
しかも特筆すべきは、この短い不応期は対象Iとの性行為時にのみ観察される現象であるという点だ。被験者M自身の証言によれば、婚前に自慰行為を行っていた際の不応期は「普通だった」とのことである(この質問をした際の被験者Mの表情は大変に困惑していたことを付記する。研究のためとはいえ、夫にそんなことを聞いた自分を少し反省している)。
すなわち、被験者Mの驚異的な回復力は、対象Iの存在そのものが引き金となって生理的リミッターが解除された結果であると推察される。
ロトムの分析はさらに踏み込んでいる。
「射精直後の被験者Mの脳内ドーパミン濃度推定値は、通常の射精後減衰パターンを一切示さず、むしろ対象Iの絶頂時の表情や声を知覚することで再上昇しているロト。つまり、マツバの脳は『イヨリちゃんがイっている姿』をドーパミンの追加報酬として処理しているロトね。イヨリちゃんが気持ちよさそうにしていればいるほど、マツバはもっと欲しくなる——完璧な正のフィードバックループが形成されているロト」
正のフィードバックループ。
つまりこういうことだ。
マツバさんが私を気持ちよくしてくれる→私がイく→マツバさんの脳がもっと興奮する→マツバさんがまた私を気持ちよくしようとする→私がまたイく→マツバさんがさらに……
終わらない。
この論理構造では、永遠に終わらない。
実際、本日の性行為が三回で終了したのは、対象Iの身体的限界(腰が使い物にならなくなった)と、左足の後遺症に配慮した被験者Mの自制心によるものであり、被験者Mの性衝動自体はまだ明らかに残余していた。
三回目の事後、布団の中で背中から抱きしめられている時、マツバさんの……その……まだ硬いままのあれが腰に当たっていたのだ。こちらはもう泥のように疲れ切っているのに、「まだ?」とは言えなかった。
言えなかったのだけれど。
当たっている感触が熱くて、硬くて、マツバさんの匂いがして、正直、身体が勝手に……
……研究ノートに書く内容ではなかった。深く反省する。
* * *
第三章 身体的影響の分析
三・一 対象Iの身体における変化
半年間にわたるSSHパートナーとしての生活は、対象Iの身体にいくつかの顕著な変化をもたらした。
一、性感帯の過敏化
継続的かつ巧みな愛撫により、対象Iの主要性感帯(うなじ、乳首、鼠径部)の神経感度は、結婚前と比較して大幅に上昇している。特にうなじに関しては、被験者Mが息を吹きかけるだけで全身に鳥肌が立ち、膣内の潤滑液分泌が始まるレベルにまで感作されている。
……書いていて恥ずかしい。恥ずかしいが、事実なのだから仕方がない。
マツバさんがうなじに息を吹きかけてくるだけで、お腹の奥がきゅうって……
――論文。論文を書いているのだ、私は。
二、ポルチオ感度の顕著な発達
結婚前の対象Iは、子宮口(ポルチオ)への刺激に対して痛みは感じるものの快感は得られなかった。しかし、被験者Mの時間をかけた段階的な開発により、現在では子宮口への適切な圧迫刺激により深部型オーガズムを容易に達成できるようになっている。
「適切な圧迫刺激」と書いたが、要するに……あの人の先端が子宮にこつんって当たって、そこをとんとんってノックするみたいに突かれると……もう……おなかの奥から波みたいに来て……何も考えられなくなって……
だめ。だめだめ。今、論文書いてるの。しっかりして、星野イヨリ。
タマムシ大学を首席で卒業した才女でしょ。
三、潮吹き反応の習慣化
結婚前にはほとんど経験のなかった尿道腺液の大量放出(いわゆる潮吹き)が、現在では性行為一回あたり平均一・八回発生するようになった。特に、Gスポットへの指による刺激と真珠体への舌技が同時に行われた場合、および子宮口をぐりぐりと圧迫された場合に高確率で発生する。
ロトムの記録によれば、本日の三回の性行為における対象Iの潮吹き総回数は四回であり、面積にして敷布団を二枚交換する結果となった。
この敷布団を明朝洗濯するのは筆者であることを、ここに異議を唱えておく。
……いや、正確には交換したのはマツバさんなのだけれど。事後に濡れた布団を手際よく替えてくれて、新しいシーツを敷いてくれて、パジャマも着せてくれて、髪も乾かしてくれて。
あの人は、壊しておいて直すのが上手い。
壊す方は容赦がないのに、直す方は恐ろしいほど丁寧で優しくて。
その手つきが好きだ。ぐちゃぐちゃにされた後の、あの大きな手のひらで髪を梳いてもらう時間が。
世界で一番安全な場所にいるって思える瞬間。
三・二 被験者Mの身体における特異性
被験者Mの驚異的な性的持久力の源泉について、医学的見地から若干の考察を加える。
被験者Mは日常的にハードな身体トレーニングを行っている。ジムリーダーとしてのバトルはもちろん、エンジュシティの旧家に伝わる古武術の鍛錬を幼少期から続けており、体幹と下半身の筋力は一般成人男性を大きく凌駕している。
さらに、ゴーストタイプのポケモンとの精神的な同調訓練により、自律神経の随意的制御能力が異常に高い。これは、射精のタイミングを自在にコントロールできる能力にも直結している。
いつも、私がイくのを待ってくれるのだ。
私が「イきたい」って言うまで、絶対にイかないでいてくれる。自分が果てる時は、いつも必ず「一緒に」だ。
あれは、自律神経のコントロールだったのか。それとも、ただ単に、私と一緒にイきたいっていう想いの強さなのか。
……多分、両方だ。
この人の身体は、鍛え上げられた武人のそれであり、同時に、私一人だけのために最適化された愛の器官でもある。
174cmの引き締まった筋肉質の身体。着痩せするから普段はわからないけれど、服を脱いだ時の破壊力はすごい。薄く割れた腹筋とか、鎖骨から肩にかけてのラインとか。
あの胸板に顔を埋めると、白檀と、汗と、マツバさん特有の匂いがして。安心して、でも同時にどきどきして。
……これ、論文じゃなくて日記になってきていませんか。
* * *
第四章 心理学的考察――SSHの発生メカニズム
四・一 「イヨリ限定」の排他的性衝動の成因
被験者MのSSHにおいて最も科学的に興味深い――そして対象Iとして最も幸福を感じる――のは、その完全な排他性である。
被験者Mは、対象I以外の女性に対し、性的関心を一切示さない。
これは、社会的な倫理観や婚姻の誓いによる抑制ではなく、もっと根本的な、生物学的とすら言えるレベルでの現象であると筆者は考える。
被験者M自身は、この件について訊ねるとこう答えた。
「他の人でそういう気持ちになったことが、そもそもないんだ。生まれてから君に出会うまで、僕は自分が性欲というものを持っているのかすら疑っていた。修行僧だったからね。でも、イヨリに会って、イヨリに触れて、初めて——自分の中に、こんな獣みたいなものが棲んでいたんだって知った」
「イヨリだから欲しくなる。イヨリの匂いだから興奮する。イヨリの声だから止まらなくなる。これは性欲なんかじゃない。僕にとってこれは——イヨリそのものへの、祈りみたいなものだよ」
祈り。
性行為を「祈り」と表現するこの人は、頭がおかしいのか、それとも度を超えたロマンチストなのか。
多分、両方だ。
そして……困ったことに、私はそのどちらも丸ごと好きなのだ。
四・二 対象Iの心理的影響
では、このSSHの「受け手」である対象Iは、被験者Mの尋常ではない性的欲求をどのように受け止めているのか。
客観的な分析を試みたいが、自分自身を客観的に分析するのは非常に難しい。特に、まだ身体の奥にマツバさんの熱が残っているこのタイミングでは。
結論から述べると、対象Iは被験者MのSSHを、肯定的に受容している。
いや、「肯定的に受容している」なんて冷静な言い方をすると嘘になる。
嬉しい。
嬉しいのだ。この人が、私だけにこんなにも欲望を剥き出しにしてくれること。
普段は穏やかで品行方正で、誰に対しても丁寧な言葉遣いで、「エンジュの誇り」なんて呼ばれている人が。
私の前でだけ、獣になる。理性を捨てる。あの紫色の瞳が、暗く濁って、「イヨリ」って呼び捨てにして、「もっと感じて」「イけ」って命じてくる。
それが。
世界中で、私一人だけに向けられた欲望であるということが。
怖いくらいに、嬉しい。
これは依存だろうか。共依存だろうか。
医学者としての自分は、「はい」と冷静に診断を下すべきだとわかっている。
私がマツバさんの重い愛を必要としているのと同じように、マツバさんも私がいないと壊れてしまう。それは健全とは言えない関係性なのかもしれない。
でも――
でも、そうだとしても。
私は、この人以外の腕の中では眠れない。
この人以外の温もりでは、あの夜の凍える暗闇を追い払えない。
だから、医学的に正しいかどうかは、もはやどうでもいい。
共依存でも何でもいい。
マツバさんの獣が、私だけのものであるならば。
私はずっと、その獣に喰まれていたい。
* * *
第五章 被験者Mの性的技術に関する特記事項
五・一 概要
本章については、筆者の主観的体験に基づく記述の比率が不可避的に高くなることを予めお断りしておく。
また、この時点で筆者の思考能力は明らかに低下しており(現在時刻三時二十二分・行為終了後約四十分)、学術的な文体の維持が困難になりつつあることを正直に認める。
……だって、まだ身体がぽかぽかしてるんだもん。
五・二 前戯技術
被験者Mの前戯は、対象Iの身体をひとつの楽器であるかのように精密に扱う点において、特筆すべきものがある。
うなじから始める。
いつもそうだ。あの人は、必ずうなじから始める。
私がいちばん弱い場所を、ちゃんと知っていて、そこに最初に唇を落とす。
ちゅ、って。一回目はいつも軽い。羽みたいに。
でも二回目からは違う。舌先が這って、歯が甘噛みして、吸い付いてきて。
うなじだけで全身に電気が走るの。膝がかくんって折れて、腰の辺りがじんわり熱くなって。まだ何もされてないのに、もう下着が湿り始めてしまう。
マツバさんの唇って、ちょっと薄くて、少し乾いてるんだけど。
それが肌に吸い付くと、しっとりしてて。温度が高くて。
その唇が、うなじから耳の後ろに移動して。耳たぶを甘噛みして。耳の穴に向かってふぅって息を吹きかけてきて。
そこで「イヨリ」って囁くのずるい。
脳が直接揺さぶられるみたいに、全身がぞくぞくって。
声が出ちゃう。恥ずかしい声が。
それから胸。
マツバさんの手は大きいけど、指が長くて器用で。
片方を手のひらで包んで揉みながら、もう片方の乳首を唇で転がすの。
吸い方がいやらしい。ちゅくちゅくって、赤ちゃんみたいに吸うかと思えば、急にずるっと強く吸い上げて。そのギャップに毎回やられる。
乳首だけで頭が真っ白になるの。マツバさんに開発されすぎて、もう胸触られるだけでお腹の奥がきゅうってなっちゃう。
鼠径部。ここは本当にだめ。
太腿の付け根の、ふにふにしたところを唇で吸われると、もう涙が出るくらい気持ちよくて。直接的な場所に触られてないのに、鼠径部だけでイきそうになる。
マツバさんはそれを知っていて、わざとそこにキスマークを密集させる。翌日お風呂で鏡を見ると、鼠径部の両側に赤い花がいっぱい咲いてて、恥ずかしいのに……嬉しくて。
……もう完全に論文じゃないですね、これ。
五・三 千里眼の「違法」な使用法について
被験者Mは原則として、対象Iに対する千里眼の使用を自粛している。プライバシーへの配慮からである。
しかし。
しかしである。
性行為の最中においてだけ、この規則には重大な例外が存在するのではないかと、筆者は長らく疑っている。
なぜなら、マツバさんは私の身体の中の「いちばん気持ちいいところ」を、ありえないほど正確に見つけ出してくるのだ。
子宮口のやや左上。私のポルチオの最弱点。ここを先端でぐりぐりされると、もう世界が白く飛ぶ。子宮ごとイくあの感覚は、普通のオーガズムとは次元が違う。おなかの奥から全身を飲み込む波がきて、自分の名前すら忘れる。
あの精度は、経験と感覚だけでは説明できない。
あの人、絶対に千里眼で私の体内を見てる。子宮の奥の、神経がいちばん集中している点を「見て」、そこに狙いを定めている。
一度、ことが終わった後に問い詰めたことがある。
「マツバさん。えっちの時、千里眼使ってますよね?」
あの人は、少しだけ困ったように笑って。
「……使ってないよ?」
「嘘。あんな正確にポイント突けるの、おかしいです」
「イヨリの身体のことは、もう全部覚えてるから。千里眼なんか使わなくても」
そう言ってすごく優しい顔で私の頬を撫でてくれたけど。
マツバさん、あなた目を逸らしてました。
逸らしていましたからね。
千里眼は対象Iのプライバシーを尊重して使わないって言いましたよね。子宮の中を覗くのはプライバシーの侵害に含まれないんですか。
……でもまぁ、気持ちいいから、許す。
五・四 被験者Mの特異な性癖――キスマーク蒐集癖
被験者Mの性行為における最も顕著な行動パターンは、対象Iの身体に大量のキスマークを刻む行為である。
一回の性行為あたりのキスマーク数は、ロトムの画像認識による計測で平均十二・七個。最大記録は二十三個(該当日は被験者Mの嫉妬が頂点に達した日。対象Iが同年代の男性医師と学会で談笑していたことが原因)。
キスマークの配置には、明確なパターンが存在する。
一、うなじ:一〜二個。髪で隠れる位置に精密に配置される。
二、鎖骨〜胸元:三〜五個。谷間に沿って連なるように刻まれる。
三、乳輪周辺:二〜三個。乳首を囲むように。
四、鼠径部:二〜四個。左右対称に配置される傾向がある。
五、内腿:一〜三個。膝上十五センチ以内の領域に限定される。
いずれも、日常の服装では絶対に他人の目に触れない場所が選ばれている。
つまりこれは「見せるため」のマーキングではなく、「自分だけが知っている」ことに意味がある行為なのだ。
被験者Mは、キスマークを刻む時、必ず――本当に必ず――こう囁く。
「僕の」
たった二文字。
でもその声は、低くて、甘くて、この上なく真剣で。まるで世界でいちばん大事な祈りの言葉みたいに。
「僕の、イヨリ」
それを聞くたびに、私は。
ああ、この人のものでいられて、よかったって。
心の底から、思うのです。
……完全に論文が崩壊している。
でもいいや。もう。誰に提出するわけでもないし。
ロトムだけが読むのだ、これは。
五・五 体位の選択パターンとその心理的背景
被験者Mは、性行為における体位の選択においても、明確な嗜好パターンを呈する。
ロトムの半年間のデータを集計した結果、使用頻度の高い順に以下の通りであった。
一、正常位(使用率四十二パーセント)
二、対面座位(使用率二十三パーセント)
三、後背位——いわゆるスプーンの体勢(使用率十八パーセント)
四、騎乗位(使用率十一パーセント)
五、その他(使用率六パーセント)
注目すべきは、上位三つの体位全てが「互いの顔が見える」または「密着度が極めて高い」体位であるという共通点を持つことだ。
正常位では、マツバさんは必ず私の目を見る。紫色の瞳が、真上から真っ直ぐに私を射抜いてくる。逸らすことを許してくれない。あの瞳に映る自分の、蕩けた顔を見てしまうのが恥ずかしいのに、目を閉じると「見て」と命じられる。
動きながらキスをしてくれる。額に、瞼に、鼻先に、唇に。全身にキスの雨を降らせながら、奥をとんとんって。
正常位の時のマツバさんは、一番「旦那さん」の顔をしている。愛おしそうに、大事そうに、壊れ物を扱うように、でも確実に奥まで到達するように。
対面座位。
これは、いちばん近い。物理的に。胸と胸がくっついて、心臓の音が伝わるくらい。
この体勢だと重力で深く入るから、子宮口に直撃する。自分で腰を動かさなきゃいけないのが恥ずかしいんだけど、マツバさんが腰に手を添えて、リズムを教えてくれる。「そう、そのまま」「気持ちいいところに当てて」って。
あの体勢の時に、だいしゅきホールドすると、マツバさんの理性が全部飛ぶ。
左足が不自由だから、全力でしがみつくのは正直しんどい。でも、あの人が「離さないで」って震えた声で言ってくれるのが嬉しくて。その一言のために、私は全力で足に力を込める。
スプーンの体勢。背中から抱きしめられながら、ゆっくり繋がるやつ。
これは二回目以降、私の体力が限界に近い時に使われることが多い。激しさよりも密着感を重視した、穏やかな波のような律動。
背中にマツバさんの胸板が当たって、うなじに唇が落ちてくる。左手がおなかを包んで、「ここに僕のがいっぱい入ってるんだね」って囁かれる。
この体勢の時のマツバさんは、いちばん「甘い」。声も、動きも、キスも。
全部がとろとろに甘くて、溶けちゃいそうになる。
あと、騎乗位。
これは正直に言うと、私はちょっと苦手だ。上に乗るの恥ずかしいし、自分で動くの体力使うし。
でもマツバさんは時々これを指定してくる。「上に乗って。イヨリの好きなように動いていいから」って。
そう言いながら、あの紫の瞳で下から見上げてくるのだ。私の揺れる胸を見ながら、唇の端をすっと持ち上げて薄く笑う。
あの顔は反則だ。綺麗すぎて、えっちすぎて、泣きたくなる。
私が自分で動いているのを見るのが好きなんだろう。「自分で気持ちいいところに当てて」って言うのもそう。私が快感を自分で求める姿を見て興奮するタイプなのだ。
……Sっ気がありますよね、マツバさん。知ってます。
五・六 声による生理的制御――「イけ」の絶頂命令に関する考察
被験者Mの性行為中における発話パターンの中で、最も特徴的かつ最も強力な効果を発揮するのが、絶頂の直前に発せられる「イけ」という二文字の命令である。
この一言には、対象Iの絶頂反射を即座にトリガーする効果がある。
条件反射と言ってしまえばそれまでだが、事態はもう少し複雑であると筆者は考える。
あの「イけ」は、ただの言語刺激ではない。マツバさんの声は低くて、少し掠れていて、普段の穏やかなトーンとは全く異なる、獣の唸りに近い振動を帯びている。その振動が鼓膜を通じて脳幹に直接作用し、自律神経系に不可逆的な反応を引き起こしている……というのが、筆者の仮説である。
もっとわかりやすく言うと。
あの声で「イけ」と言われると、身体が勝手にイってしまうのだ。
考える暇もなく。抗う術もなく。まるで呪いのように。
しかもマツバさんは、その命令のタイミングが完璧なのだ。
絶頂の波がぐわーっと迫ってきて、もうあと一歩で届くか届かないかの、いちばん苦しくていちばん気持ちいい瞬間に。そこでぴったり「イけ」と言ってくる。
あれは千里眼で私の身体の状態を見ているとしか思えない(二回目の言及)。
ちなみにロトムのデータによれば、「イけ」の命令から対象Iの実際の絶頂反応までの平均遅延時間は一・三秒である。
一・三秒。
パブロフの犬でももう少し時間がかかるだろう。
自分がここまで条件づけられていることに、医師としては若干の危機感を覚えるべきなのかもしれない。
しかし対象I(つまり私)の正直な感想としては、あの瞬間が毎回、毎回、とんでもなく気持ちいいので、別にいいかな……と思ってしまっている。
マツバさんにしかできない、マツバさんの声でしか起きない現象。
それはつまり、私の身体がマツバさん専用に作り変えられているということで。
恐ろしいはずなのに。嬉しい。
五・七 事後行動(アフターケア)に関する詳細分析
前章でも軽く触れたが、被験者Mの性行為後のアフターケアの丁寧さは、特筆に値する。ここではその具体的手順を時系列で記録する。
手順一:身体の清拭
ぬるま湯で濡らした柔らかいタオルで、対象Iの全身を丁寧に拭いてくれる。まず顔の汗を、次に首筋を、それから胸元、お腹、太腿の内側、そして秘所。決して乱暴にしない。濡れた肌にタオルを当てて、ぽんぽんと優しく押さえるように。
結合部からこぼれた白い液も、一滴も残さず拭き取ってくれる。その時のマツバさんの表情は、さっきまで獣だった人と同一人物とは思えないほど穏やかで慈愛に満ちている。
手順二:着替え
対象Iにパジャマを着せてくれる。ボタンを一つ一つ留めながら、胸元のキスマークがちゃんと布で隠れるのを確認して、小さく頷く。この瞬間だけ、ちょっと満足そうな顔をするのが面白い。自分で刻んだ占有の印が、自分だけの秘密としてちゃんと布の下に収まっているのを確認する儀式なのだろう。
手順三:シーツの交換
潮吹きと射精で汚れた敷布団とシーツを、手際よく交換してくれる。マツバさんは家事全般がそつなくこなせる人だが、このシーツ交換のスピードと手際の良さは、明らかに「経験値」の高さを示している。半年の婚姻生活で何十回と繰り返してきた動作だ。
手順四:髪を乾かす
ブラシと、低温に設定したドライヤーで、対象Iの髪を丁寧に乾かしてくれる。毛先まで一本一本梳くように。マツバさんは私の髪が好きらしく、手触りを確認するように何度も指を通す。
この時間がいちばん好きだ。
背中から、大きな手で髪を梳いてもらいながら、行灯の柔らかい光の中にいる時間。
世界で一番安全な場所にいるって、心底思える。
ぐちゃぐちゃにされた後なのに、修復されていく。壊された心と身体が、ひとつひとつ元に戻されていく。
手順五:水分補給
温かい白湯か、カフェインの入っていないハーブティーを淹れて持ってきてくれる。「脱水になるから、ちゃんと飲んで」と言いながら。
この人はどこまで丁寧なのだろう。激しく壊しておいて、直す時はこんなにも優しくて。
手順六:添い寝
全ての手順が終わると、布団の中に並んで横になる。マツバさんの左腕がイヨリの腰に回され、大きな手がおなかを包む。背中に胸板が密着して、うなじにそっと唇が当たる。
「おやすみ、イヨリ」
この一言を聞くと、全身の緊張が糸のようにほどけて、意識が溶けるように遠のいていく。マツバさんの腕の中は、世界で唯一、完全に安心できる場所だから。
ロトムの記録によれば、事後のアフターケア開始から対象Iが入眠するまでの平均時間は二十三分。アフターケアなしの場合の推定入眠時間(対照実験は倫理的に不可能なため、あくまで推定値)と比較すると、入眠潜時が約六十パーセント短縮されているとのことである。
つまりマツバさんのアフターケアには、薬理学的な睡眠導入剤に匹敵する催眠効果があるということだ。
……保険適用してほしい。
* * *
第五章の八 禁欲期間と性衝動の蓄積に関する実験的考察
先日(本稿執筆の一週間前)、被験者Mと対象Iは、互いの多忙により約七日間の禁欲期間を経験した。
この期間のデータは、SSHの蓄積メカニズムを理解する上で非常に貴重なサンプルとなった。
結論から言えば、あの一週間は地獄だった。
いや、地獄は言い過ぎかもしれない。でも、少なくとも煉獄くらいではあった。
七日間の禁欲期間中、対象Iの身体に生じた変化を時系列で記す。
一日目〜二日目:寂しいが、まだ理性的。「忙しいし仕方ない」と自分に言い聞かせることが可能。
三日目〜四日目:マツバさんの匂いがする枕に顔を埋めて寝るようになる。無意識に彼のパジャマを着て眠る。
五日目:入浴中にマツバさんとの行為を思い出して、膣内が勝手に潤滑液を分泌する。自慰行為への衝動が生じるが、マツバさん以外の刺激では満足できないことを知っているため断念。
六日目:マツバさんの声を聞くだけで鼠径部が疼く。往診中に牧場のケンタロスを見て、何故か柵を掴むマツバさんの手を連想してしまい、自己嫌悪に陥る。
七日目(行為当日):もう全てがだめ。詳細は前編・後編の記録を参照のこと。
七日間で対象Iの身体がここまで切迫した状態に追い込まれたのは、やはりマツバさんとの性行為が週四回という高頻度で行われていたことにより、脳内のドーパミン報酬系が完全にマツバさんの刺激に依存する構造になっていたためだろう。
被験者M側はどうだったのか。
後日訊いてみたところ、平然とした顔で「三日目くらいから限界だった」と言っていた。七日間の禁欲の末に解放された時の行為の激しさは、先に記した通りである。一回目の性行為だけで射精一回、対象Iの絶頂五回、潮吹き二回。二回目はだいしゅきホールドからの同時絶頂。三回目は穏やかなスプーン体勢。
つまり、一週間の蓄積分が一晩で出力されたわけである。
ここで一つの問いが浮かぶ。
もし禁欲期間が二週間だったら? 一ヶ月だったら?
被験者Mの性衝動の蓄積速度は線形なのか、指数関数的なのか。
……正直に言うと、確かめたくない。
一週間であの状態だったのだ。二週間になったら、マツバさんは帰宅した瞬間に玄関で襲いかかってくるかもしれない。
いや、それはそれで……
だめだめ。何を想像してるの、星野イヨリ。深夜三時半のテンションが完全におかしい。
五・九 ロトムの記録に見る「傾向と対策」――AIの暴走的データ分析
ここで、本研究の最大の功労者であり最大の問題児でもあるロトムの行動について、一章を割いて記述しておく必要がある。
筆者のアステア・システムに常駐するロトムは、筆者の身体的・精神的健康管理をその最優先タスクと定義している。この定義自体に問題はない。問題は、ロトムが「健康管理」の範囲を際限なく拡大解釈していることにある。
具体的には、以下のような行動が日常的に観察されている。
一、性行為中のバイタルデータのリアルタイム記録(心拍数、呼吸数、体温、発汗量、筋収縮パターン、推定ホルモン濃度……)
二、上記データに基づく事後レポートの自動生成(「前回の性行為の総合評価:★四・七/五・〇。改善提案:対面座位の際、イヨリちゃんの左腰を五度右に傾けることで、ポルチオ到達角度がさらに最適化されるロト」)
三、性行為の予測アルゴリズムの独自開発(「本日の被験者Mの行動パターンおよび内分泌指標推定値から、今夜の性行為発生確率は八十九パーセントと算出されるロト。水分補給を推奨するロト」)
四、性行為のタイミングと翌日のパフォーマンスの相関分析(「水曜夜の性行為は木曜の往診効率を十二パーセント低下させるロト。推奨日は金曜夜または土曜夜ロト」)
五、月次レポートの自動送信(宛先:イヨリ・CC:なし。件名:「マツイヨ月次セクシャルアクティビティレポート 三月度」)
五番目のレポートには、グラフや表まで添付されている。折れ線グラフで月間の絶頂回数推移が可視化され、円グラフで体位別使用率が色分けされ、棒グラフで曜日別性行為頻度が分析されている。
正直に言うと、このレポートのUI/UXデザインはかなり優秀だ。見やすいし、直感的だし。さすがデボンコーポレーション製の最新鋭AIと言わざるを得ない。
それはそれとして、こんなレポートを毎月作るの、やめてほしい。
一度、マツバさんの前でこのレポートが表示されてしまったことがある。
朝食中に、ロトムが突然、先月の分析結果を読み上げ始めたのだ。
「先月のマツイヨ性活動サマリーを報告するロト♪ 総性行為回数十八回、総射精回数四十九回、イヨリちゃんの総絶頂回数九十七回(うちポルチオ由来四十二回)、総潮吹き回数二十八回——」
マツバさんは味噌汁を飲みながら平然と聞いていたが、耳が赤くなっていた。
私は卵焼きを喉に詰まらせて死にかけた。
あの日以来、ロトムには「性関連データの音声出力は、私の明示的な許可がない限り禁止」という制限をかけた。もちろんデータの収集自体は止まっていない。止められないのだ、あのノンデリAIは。
* * *
第五章の十 付録的補遺――深夜の筆者の身体的状況
ここまで書いて、ふと我に返った。
現在時刻、午前三時四十八分。
被験者Mとの三回目の性行為が終了してから、約一時間が経過している。
筆者の身体の現在の状態を、ロトムのバイタルデータに基づいて記録しておく。
心拍数:七十八拍(平常時六十二拍よりやや高い。性的興奮の残余か、あるいは本論文執筆による精神的興奮の影響か)
体温:三十六・九度(平常時より〇・四度高い。被験者Mの体温移転による可能性)
左足の状態:軽度の痺れあり。だいしゅきホールドの際に無理をした影響と推定。
腰部:全体的にだるい。筋肉痛の前兆あり。
鼠径部:触れると微かなひりつきあり。キスマーク(左右合計五個)による皮膚刺激。
胸部:乳首周辺にやや腫れ。長時間の吸引刺激による一過性の浮腫と推定。
子宮周辺:まだ、ぽかぽかしている。マツバさんの三回分の……が、まだおなかの中で温かいのだ。
……幸せだなぁ。
こんなにぼろぼろにされてるのに。
腰は痛いし、鼠径部はひりひりするし、足は痺れてるし。
なのに、体の芯がぽかぽかで、頭がふわふわで、心が満たされている。
隣で眠っているマツバさんの寝息が聞こえる。
すぅ、すぅって。規則正しくて、穏やかで。
さっきまであんなに激しかった人が、こんなに静かに眠れるなんて。
私がいるから安心して眠れるんだと思いたい。自惚れだとしても。
金色の髪が、枕の上にさらさらって散っている。
月明かりで少しだけ銀色に光っていて。
長い睫毛が頬に影を落としていて。
唇が、少しだけ開いていて。
きれい。
何度見ても、そう思う。
こんなきれいな人が、私のことだけ欲しがってくれる。
私の身体でだけ、獣になってくれる。
幸せすぎて、ときどき怖い。
いつか、この幸せが壊れるんじゃないかって。
でも、そう思うたびに、マツバさんがうなじにキスをくれる。無言で、一つだけ。
それだけで、恐怖は霧みたいに消えてしまう。
……あ。
マツバさんが寝返りを打った。
こっちに手を伸ばしてきている。無意識なのだろう、目を閉じたまま、私がいるはずの場所を手探りで探している。
布団の上を泳ぐ大きな手が、私の腕に触れた。
そこにいる、って確認するみたいに、きゅっと握ってくる。
泣きそう。
寝ていても私を探してくれるの。
寝ていても私から離れたくないの。
もう、論文なんか書いてる場合じゃないよね。
……と思ったのに。
あの手に触れられた腕が、まだじんわりと熱い。
嬉しいのと寂しいのが混じって、もう少しだけ、書いていたくなった。
あと少しだけ。マツバさんが起きる前に。
五・十一 嗅覚刺激と性衝動の関連性――白檀の香り問題
被験者Mの体臭は、白檀に近い香りを帯びている。
これはエンジュの旧家に伝わる薫香の文化が影響しているものと推察される。幼少の頃から白檀を焚く空間で育ち、長年の修行の中でその香りが肌に染み込んだのだろう。
問題は、この白檀の香りが対象Iにとって極めて危険なフェロモン的刺激となっているということである。
嗅覚は五感の中で唯一、大脳辺縁系(特に扁桃体と海馬)に直接接続されている感覚器官である。つまり、匂いは理性を経由せず、本能と記憶に直結する。
対象Iにとって白檀の香りは「マツバさんの匂い」と完全にイコールであり、さらにそこには「性行為中のマツバさんの首筋の匂い」「事後のマツバさんの胸元の匂い」「朝起きた時のマツバさんの枕の匂い」という膨大な記憶と感情が紐づけられている。
結果、日常生活において白檀の香りに接触するたびに、対象Iの身体は反射的にマツバさんとの親密な接触を想起し、自律神経系に微細な興奮反応が生じる。
エンジュシティは古都であるため、寺社仏閣で白檀が焚かれる場面は珍しくない。お正月の初詣。お盆の法要。季節のお祭り。
そのたびに、対象Iは「ここ、マツバさんの匂いがする」と思ってしまい、お腹の奥がきゅっとなる。
お寺の本堂で夫のことを連想して興奮する妻。不謹慎にもほどがある。
逆もまた然りである。
マツバさんは、私が使っている檜とハーブのブレンド入浴剤の香りに異常に反応する。
入浴後、まだ髪が少し湿っている私の首筋に顔を埋めて、「いい匂い」と囁いてくるのは毎回のことだ。
そして大抵の場合、その「いい匂い」の確認作業は、いつの間にかうなじへのキスに変わり、そこから先の展開は本論文の第二章に記載した通りである。
つまり、我々夫婦は互いの匂いに条件づけられた嗅覚的相互依存の関係にあり、これもSSHの維持メカニズムの一端を担っていると考えられる。
五・十二 公と私の「温度差」――エンジュの誇りとベッドの獣
最後にもう一つだけ。
マツバさんの、昼と夜のギャップについて。
この論文を読んでいる人――まあロトムしかいないのだけれど――には、信じられないかもしれない。
本稿で記述した、うなじに食らいつき、鼠径部にキスマークを量産し、子宮口をぐりぐりしながら「イけ」と命令してくるこの男が、日中はこのような人物であるということを。
ジムへの挑戦者に対して。
「ようこそ、エンジュシティジムへ。僕はマツバ。ゴーストタイプのポケモンを使うよ。さあ、君の心の強さを見せてもらおうか」
穏やか。上品。知的。紳士的。まるで仏像が微笑んでいるかのような佇まい。
大学での講義中。
「エンジュシティに伝わるホウオウ伝説には、いくつかの解釈がありましてね。今日は皆さんと一緒に、文献学的なアプローチから読み解いていきましょう」
学識深い。思慮に富んで。目を輝かせながら歴史を語る姿。聴講する学生たちに慕われている。
商店街のおばあちゃんたちとの交流。
「いつも美味しいお漬物をありがとうございます。イヨリも喜んでました」
腰が低い。地域に根ざしたリーダー。人望が厚い。
……この人と、ベッドの上で「前菜は終わり。ここからが本番だよ」と囁きながら私の下着を脱がせてくる人が、同一人物なのだ。
そのギャップが。
正直に言ってしまうと。
たまらなく、好きなのだ。
誰も知らない顔を、私だけが知っている。
世界中が「穏やかな紳士」だと信じているその仮面の下に、どれほど激しい情欲と独占欲が渦巻いているか、知っているのは私だけ。
あの紫色の瞳が欲望で暗く濁る夜を。
あの丁寧な言葉遣いが低い命令に変わる瞬間を。
あの長い指が私の肌の上をどんな風に這い回るかを。
全部、全部、私だけの秘密。
……だから、この論文も秘密にしておかなきゃいけない。
万が一にも他の人に読まれたら、マツバさんの「エンジュの誇り」としてのイメージが崩壊してしまう。
ロトム、くれぐれもこのファイルのセキュリティは最高レベルでお願いしますね。
* * *
第六章 結論
六・一 SSHの総括
本稿において分析した被験者MのSSHは、以下の特性により定義される。
一、特定パートナー(対象I)に対してのみ発現する完全排他的性衝動である。
二、その頻度と強度は同年代平均を大幅に上回り、ストレス下においてむしろ亢進する。
三、発動トリガーの閾値は極めて低く、対象Iの日常的行動のほぼ全てが潜在的トリガーとなり得る。
四、射精後不応期が異常に短縮されており、対象Iの絶頂反応がドーパミン再分泌を促す正のフィードバックループが形成されている。
五、性行為後のアフターケアへの執着が顕著であり、「壊して直す」サイクルが被験者Mの愛情表現の根幹を成している。
これらの特性を総合すると、被験者MのSSHは単なる「性欲の強さ」とは本質的に異なるものであると結論づけられる。
これは、一人の男の中に眠っていた獣が、たった一人の女に出会ったことで初めて目覚め、その女だけを求めて永遠に飢え続けるという――非常にロマンチックで、非常に厄介で、そして非常に幸福な現象なのだ。
六・二 今後の展望
本研究は、対象Iの主観的体験に大きく依存しており、客観性の面で重大な限界がある。
今後、より厳密な研究を行うためには、被験者Mの内分泌データの直接計測(採血等)や、fMRIを用いた脳活動の可視化が必要であろう。
……しかし、現実的に考えて、その実現は極めて困難である。
なぜなら、「マツバさん、えっちの最中にMRIの中に入ってくれませんか」と頼む勇気は、タマムシ大学を首席で卒業した私にもない。
六・三 謝辞
本研究にあたり、膨大なバイタルデータの収集と分析に多大な貢献をしてくれた、アステア・システム搭載ロトムに感謝申し上げる。
……ただし、このデータを二人の同意なく第三者に開示した場合、筆者は法的措置を講ずる用意があることを付記しておく。
そして。
本稿の被験者であり、筆者の最愛の夫であるマツバさんへ。
あなたの性欲は、正直言って人間離れしています。
毎回毎回、朝まで付き合わされて、翌日は腰がふにゃふにゃで往診に支障をきたすこともあります。
鼠径部のキスマークが多すぎて、万が一の時に病院で服を脱ぐのが恐怖です。
千里眼で子宮の中を覗くのは倫理委員会案件です。
でも。
あなたがぜんぶぜんぶ、わたしにだけ向けてくれるから。
わたしだけの獣でいてくれるから。
わたしだけを求めて、わたしだけを壊して、わたしだけを直してくれるから。
だいすきです。
朝までたっぷり愛してくれて、ありがとう。
明日もあさっても。
ずっとずっと。
こうして、あなたのうでの中で、ふにゃふにゃにされていたいです。
――だから、はやくこっち向いて、ぎゅってして。
まだからだがあったかいのに、論文なんか書いてるばあいじゃなかった。
あなたのそば、がいい。
マツバさん。
おやすみなさい。
だいすきです。
せかいでいちばん。
以上。
――本稿は、執筆開始から四十七分後、対象Iが被験者Mの胸元に顔を埋めて意識を失ったことにより、未完のまま自動保存された。
翌朝、当該論文を発見した被験者Mは、顔を真っ赤にしたまま、論文のプリントアウトを自室の金庫に厳重に保管した。
以後、その金庫は彼の最も大切な宝物入れとなっている。
(記録者:ロトム)
あとがき by 佐藤美咲
朝までマツバさんにたっぷり愛されて骨抜きになったイヨリさんが、事後のぽかぽかした布団の中で書いた(最初は真面目だった)論文です。だんだん学術的な文体が崩壊し、最後はマツバさんへの限界オタクみたいなデレデレ本音があふれ出す構成でお届けしました♡ ロトムの鬼畜なデータ収集と朝のレポートも健在です。最後までお楽しみいただきありがとうございました!