千里眼は猫の夢を見るか【前編】
発端は、一冊の原稿用紙だった。
エンジュシティジムの事務室には、ミヤマという名の事務員がいる。五十代半ばの、丸い眼鏡をかけた恰幅のいい女性で、ジムの経理と選手管理と来客対応と弁当の手配を一手に引き受ける、縁の下のゴルバットとも呼ぶべき存在だった。やかましくて世話焼きで、マツバのことを自分の息子のように思っているフシがあるこの事務員が、その日、珍しくそわそわした様子でジムリーダー室の扉をノックした。
「マツバさん、お忙しいところ失礼します。あの、ちょっとお願いがありまして」
「ああ、ミヤマさん。どうぞ」
マツバは、挑戦者の対戦記録をまとめていた手を止めた。ミヤマが両手で抱えているのは、印刷用紙を簡易的に製本したような、手作り感溢れる冊子だった。表紙にはカラープリンターで出力したらしいイラストが描かれていて、何人かの少女が……角のようなもの、いや、アンテナのようなもの……を頭から生やして微笑んでいる。
「実は、うちの息子が小説を書いたんですよ。ほら、あの子、昔から作文だけは得意だったでしょう? それで最近、本格的に物語を書き始めまして。初めての完成作品なんです。それで、マツバさんにも読んでいただきたくて……」
ミヤマの目が、母の愛情で潤んでいた。四十代の息子が書いた一作目。それを職場の上司に読んでもらいたいという、母親としての純粋な願い。マツバは、その思いを汲まないわけにはいかなかった。
「もちろんです。喜んで」
「ありがとうございます! あの子、とっても喜ぶと思います。普通の冒険小説みたいなんですけど、結構面白いみたいですよ。私はまだ途中までしか読んでないんですけどね、あははは」
ミヤマは嬉しそうに手を振りながら事務室に戻っていった。マツバは受け取った冊子を机の上に置き、表紙を改めて見た。
タイトルが長い。
異常に、長い。
「ブラック企業に勤めていた俺が過労死してSSS級チートスキル・心理掌握(メンタルアウト)を手に入れて5人のケモ耳娘に囲まれいちゃらぶスローライフを送る~勤め先が大変なことになっているらしいけど、知りません~」
マツバは三回読み直した。
一度目は、文字の羅列として認識した。二度目は、タイトルの中に文法構造を見出そうとした。三度目にして、ようやくこれが一つの文章であり、かつ作品全体のあらすじを兼ねていることに気がついた。
ブラック企業。過労死。チートスキル。ケモ耳娘。いちゃらぶ。スローライフ。
マツバは一語ずつ、頭の中で咀嚼した。ブラック企業とは、過酷な労働環境の組織のことだろう。過労死は、働きすぎて命を落とすこと。ここまでは理解できる。しかし「SSS級チートスキル」という概念に差し掛かった時点で、マツバの理解力は一旦立ち止まることを余儀なくされた。
「チート……?」
ジムリーダーとして様々な挑戦者と対峙してきたマツバだが、彼らの使うポケモンにSSSなどという評価基準は存在しない。スキルという言葉には馴染みがあるが、それに「チート」という、明らかに不正行為を意味する修飾語がつくのは、どういうことなのか。
そして「心理掌握(メンタルアウト)」。これには少しだけ、心当たりがあった。マツバ自身が持つ千里眼、すなわち人の心を見透かす能力。それに類する超能力の一種だろうかと、類推した。
「ケモ耳娘」という言葉については、文字通り獣の耳を持つ少女たちのことだろうと推測した。ポケモンの特徴を持った人間、という解釈が最も自然に思えた。エーフィの耳をした少女とか、ブラッキーのような丸い耳の少女とか。そういう存在だろう。
マツバは、真面目な男だった。真面目すぎると言ってもいい。全二百四十ページにも及ぶこの冊子を、ミヤマの息子が心血を注いで書いた作品として、最初の一文字から最後の一文字まで、丁寧に読むつもりだった。
第一章「ブラック企業の日常と突然の死」を開いた。
主人公の名前は「黒崎蓮」。年齢は二十七歳。毎日午前六時に出社し、午前二時に退社する生活を三年間続けてきた、典型的な社畜である。上司のパワハラに耐え、膨大な書類仕事をこなし、理不尽なクレーム対応に追われ、それでも年収は平均以下。誰からも感謝されず、誰にも必要とされていないと感じながら、ただ惰性で生きてきた男。
マツバは、この冒頭に胸を打たれていた。
ジムリーダーという職業は華やかに見えるが、その実態は挑戦者への対応、ポケモンの育成、設備の管理、ポケモン協会への報告書作成、地域行事への参加と、多忙を極める。マツバ自身、何度も深夜までジムに残り、書類と格闘した経験がある。自分を主人公に重ねて読んでしまうのは、決して不自然なことではなかった。
黒崎蓮は、ある冬の朝、駅のホームで意識を失い、そのまま帰らぬ人となった。過労死。享年二十七。彼の死を悼む者は、家族を除けば誰もいなかった。
「……」
マツバは、しばし黙祷した。架空の人物であると頭ではわかっていても、文章から伝わる孤独と悲痛に、一人の人間の死を感じ取らずにはいられなかった。この男もまた、誰かに愛されたかったのだろうと。
第二章「目覚めたら異世界でした」では、主人公が見知らぬ草原で目を覚ます。そこは剣と魔法の世界であり、死んだはずの主人公は新しい肉体を得ていた。そして、眼前に浮かぶステータスウインドウに、こう表示されていた。
「SSS級固有スキル【心理掌握(メンタルアウト)】――対象の思考・感情・記憶を完全に読み取り、操作することが可能」
マツバの眉が、ぴくりと動いた。
感情を読み取る能力。それは、マツバの千里眼と酷似している。しかし「操作」まで可能だというのは、千里眼とは次元の違う力だ。マツバが見えるのはあくまで「感情の色」であり、それを変えることはできない。人の心を書き換えられるなど、それこそ聖杯の奇跡に匹敵する。
にもかかわらず、主人公はこの神がかった能力を「便利だな」の一言で片付けて歩き出した。マツバは少し面食らった。
そして読み進めるうちに、もっと面食らうことになった。
主人公は異世界で最初に出会った少女を助ける。その少女の頭には、猫の耳が生えていた。本物の、ふわふわした、三角形の猫耳。名前はルナ。銀色の髪に月のような瞳を持つ猫族の少女で、尻尾も生えている。
マツバは、文章を二度読み返した。挿絵はないが、文章だけで十分に想像ができた。少女の頭に猫の耳。髪の間から覗く三角形のシルエット。触れたらぴくりと動くらしい。
その瞬間。
マツバの脳裏に、稲妻のような映像が走った。
イヨリの頭に、猫耳がついている。
黒い髪の間から突き出た、小さな三角形の猫耳。先端がほんのりピンク色で、くすぐったい風が吹くとぴくぴくと動く。尻尾は腰のあたりから生えていて、嬉しい時はゆらゆらと揺れ、恥ずかしい時はぎゅっと太腿に巻きつく。
マツバは、自分の想像力の暴走に驚愕した。
「……何を考えているんだ、僕は」
声に出して自分を叱咤した。妻に猫耳をつけた姿を妄想するなど、ジムリーダーとしてあるまじき行為だ。いや、ジムリーダーであるかどうかは関係ない。人として。夫として。
だが、一度生まれた映像は消えなかった。
マツバは、ページを捲った。読書を続けることで、余計な想像を振り払おうとした。
第三章から第五章にかけて、物語は加速した。主人公・黒崎蓮は、心理掌握の能力を使って次々と災いを退け、各地で虐げられていたケモ耳族の少女たちを救っていく。猫耳のルナ。狐耳のサクラ。兎耳のミント。狼耳のノワール。そして鷹の翼を持つ少女ソラ。五人の少女たちが、主人公の周りに集まっていく。
マツバは、元来がゴーストタイプ使いらしく、物語を読み込む集中力は尋常ではなかった。仕事を忘れていた。午後の挑戦者予約が三件入っていたことすら、意識の外に追いやっていた。とうに冷めきった茶が、机の端で湯気を失っている。
問題は、作品の質が意外と高かったことにある。文章そのものは粗削りだが、主人公が過労死から異世界に転生するという設定には、現代社会への鬱屈とした怒りが滲んでいた。救われなかった人生の代償として得た力で、今度は誰かを救う側に回る。その構造に、マツバは共感を覚えずにはいられなかった。
しかし。何よりマツバの読書体験を根底から揺すぶっていたのは、五人のケモ耳少女たちの描写だった。それも、一人だけ。猫耳のルナ。
銀髪ではなく黒髪に脳内変換されたルナ。おっとりとしていて、甘えん坊で、主人公の膝の上で丸くなるのが好きな猫族の少女。主人公の胸に顔を埋めて「にゃ……」と小さく鳴く、その描写を読むたびに。
マツバの頭の中で、ルナの顔がイヨリの顔に上書きされた。
「にゃ……」と小さく鳴くイヨリ。猫耳がぴくぴくと震えるイヨリ。尻尾が嬉しそうに揺れるイヨリ。マツバの膝の上で丸くなって、目を細めて「ふにゃぁ……」とあくびをするイヨリ。
マツバは本を閉じ、天井を仰いだ。
「…………」
十秒間、無言で天井の木目を数えた。それから、本を再び開いた。
第六章「月下の告白」。ここで物語は急展開を迎えた。
主人公が月明かりの下でルナと二人きりになる場面。前章までの冒険活劇の空気とは一変して、文章の温度が明らかに上がっていた。ルナが主人公の胸に顔を埋め、尻尾が不安そうに揺れ、「ご主人様……私を、捨てないでくださいね……」と囁くところまでは、まだ純愛の範疇だった。
問題は、その次のページだった。
マツバは、ページを捲った瞬間に目を見開いた。
主人公がルナの猫耳の付け根を、指先で、ゆっくりと撫でる。ルナが「ひゃっ……」と身を震わせる。猫耳の付け根が最も感じやすい場所だという設定が、ここで初めて明かされた。ルナの頬が紅潮し、呼吸が乱れ、尻尾がぴんと伸びて、やがて力なく垂れ下がる。
「ご、ご主人様っ……そこ、だめっ……耳の、そこ……っ」
マツバの手が、ページの上で止まった。
これは。
これは、「普通の冒険小説」ではない。
ミヤマさん。あなたの息子さんの小説は、冒険小説ではありません。少なくとも、この章は明確に、成人向けの領域に足を踏み入れています。息子さんの名誉のために言えば、文章力自体はここに来て格段に向上しており、情景描写の解像度が異常に高い。おそらく、この手の場面を書くことに対して、尋常ならざる情熱と才能を持っているのだろう。
しかし、マツバにとっての問題は、作品の分類ではなかった。
問題は、主人公がルナの耳の付け根を撫でる描写を読んだ瞬間に、マツバの脳内で壮大な映像変換が起きたことだった。
イヨリの猫耳の付け根を撫でる自分の指。「ひゃっ……」と身を震わせるイヨリ。頬を紅潮させ、目を潤ませ、小さな唇を震わせながら、「マツバさんっ……そこ、だめっ……」と懇願するイヨリ。
マツバは本を机に伏せ、両手で顔を覆った。
心臓が、ジム戦の時より遥かに速く打っている。
「……落ち着け。落ち着くんだ。僕は今、ミヤマさんの息子さんの作品を、適切に評価するために読んでいるのだ。個人的な妄想を挟むべきではない」
自分に言い聞かせた。三十秒かけて呼吸を整え、本を再び手に取った。読まなければならない。ミヤマさんに感想を求められた時に、「途中で読むのをやめました」とは言えないのだ。ジムリーダーとして。人として。
場面は続く。主人公がルナの身体をゆっくりと愛していく描写は、驚くほど緻密だった。猫耳の先端が快感で震え、尻尾が主人公の腕に巻きつき、ルナが「にゃあっ……」と甘い声を上げるたびに、マツバの脳内では即座にイヨリの声に変換された。
マツバは歯を食いしばって読み進めた。ジムリーダーの矜持を総動員して。千里眼で自分自身の感情を見つめ直し、理性の手綱を握りしめながら。ページを捲る指が、微かに汗ばんでいることに気づかないふりをしながら。
第六章が終わった時、マツバは大きく息を吐いた。額に薄く汗が滲んでいた。ジムリーダー室の時計を見ると、読書を始めてから既に三時間が経過していた。午後の挑戦者対応はミヤマの機転で別日に振り替えられていたらしく、事務室からメモが差し入れられていた。「マツバさん、お疲れのようなので今日の予約はリスケしておきました。ゆっくり休んでくださいね(ハートマーク)」
ミヤマさん、あなたの優しさが今は少しだけ恨めしい。
第七章以降、物語は再び健全な冒険路線に戻った。五人の少女たちと力を合わせ、世界を脅かす魔王に立ち向かうという王道の展開が続く。主人公の前職であるブラック企業が異世界にも進出してきてブラック魔導企業として労働者を搾取しているという設定は、控えめに言って独創的だった。マツバは意外にも、この部分を楽しんで読んだ。
しかし。
読み終えた後も、マツバの頭に焼きついて離れなかったのは、冒険譚でも魔王との決戦でもなく、第六章のあの場面だった。猫耳のルナ。いや、猫耳のイヨリ。
マツバは冊子を静かに閉じて、机の上に置いた。窓の外では、エンジュの夕陽が五重塔を茜色に染めている。
彼は、数分間、沈思黙考した。
イヨリに、猫耳をつけたら。
可愛いだろうか。
いや、可愛い。間違いなく可愛い。仮説ではない。確信だ。千里眼で見るまでもない。あの黒髪に猫耳が乗った姿を想像するだけで、マツバの心臓は跳ね上がる。「にゃ」と鳴くイヨリ。耳がぴくぴく動くイヨリ。尻尾を揺らしながら膝に乗ってくるイヨリ。
可愛くないわけがない。
しかし、と理性が横槍を入れる。妻にコスプレをさせるというのは、果たして許されることなのだろうか。ジムリーダーとして。夫として。星埜イゴウとイノリが命を懸けて守り、イゾウが世界の果てから見守っている、あの大切なイヨリに、猫耳と尻尾をつけて……。
マツバは、三秒ほど葛藤した。
三秒だった。
イゴウさん、イノリさん、イゾウさん。大変申し訳ございません。
マツバは、デスクの引き出しからロトムフォンを取り出した。
エンジュシティのジムリーダー・マツバが、ネット通販の画面と格闘を始めたのは、その日の夕方六時のことだった。
まず「猫耳」と検索した。
表示された結果は膨大だった。カチューシャタイプ、ピン留めタイプ、ヘアバンドタイプ、被り物タイプ。色も素材も形状も、恐ろしいほどの多様性に満ちている。人間の欲望の深さを目の当たりにして、マツバは少しだけ安堵した。自分だけではなかったのだ、と。こんなにも多くの人間が、愛する者に猫耳をつけたいと願っているのだ。人類は、根本的に猫耳が好きな生き物なのかもしれない。
しかし、猫耳だけでは足りない。あの小説のルナは、耳だけではなく、衣装も猫をモチーフにしたものを身に纏っていた。であれば、イヨリにも猫をモチーフにした衣装が必要だ。子猫の、衣装が。
マツバは検索ワードを「子猫 コスプレ 衣装」に変更した。
画面に、無数の商品が並んだ。
黒い猫耳カチューシャと、おなかの部分に肉球マークが入ったフリル付きの黒いワンピース型の衣装。首には鈴つきのチョーカー。手には猫の手のような丸いミトン。そして、腰から垂れる長い猫の尻尾。
マツバの口が、わずかに開いた。
これだ。
しかし即決はしなかった。ジムリーダーは、慎重でなければならない。まず、サイズを確認する必要がある。イヨリの身長は百五十六センチ。体重は……正確な数字は知らないが、抱き上げた感覚から推測すると四十六キロ前後だろう。バスト、ウエスト、ヒップの数値は、夫として……いや、これ以上の思考は危険だ。
マツバは、サイズ表とにらめっこした。S、M、L。イヨリの華奢な体型から考えて、Sが適切だろう。しかし、胸元のフリルが窮屈になる可能性がある。イヨリの胸は、見た目以上に……だから、これ以上の思考は危険だと言っているのだ。
Mサイズを選択した。少しゆとりがある方が、いざという時に……いざという時? いったい何を想定しているのだ、自分は。
色は黒にした。イヨリの黒髪に、黒い猫耳が溶け込む。白い肌との対比が美しいはずだ。鈴つきのチョーカーは必須。イヨリが動くたびに、りん、と小さな音が鳴る。その音に、マツバの心臓も共鳴するだろう。
カートに入れた。
そして、マツバの指は止まった。
購入ボタンの上で、親指が躊躇っている。
本当に、いいのだろうか。
千里眼を持つジムリーダーが、事務員の息子が書いたなろう系小説に触発されて、妻にケモ耳コスプレをさせるための衣装をネット通販で購入する。この行為を、言語化した時点で、マツバは自分がいかに深い沼にはまっているかを自覚した。
しかし。
目を閉じると、浮かぶのだ。
黒い猫耳カチューシャをつけたイヨリ。首の鈴が揺れる。恥ずかしそうに頬を染めて、両手の猫ミトンで顔を隠しながら、上目遣いで、「マツバさん……似合って、ますか……?」と訊いてくるイヨリ。耳がぴくぴく動いて、尻尾がもじもじと揺れて。
マツバの親指が、購入ボタンを押した。
「ご注文ありがとうございます。商品は三日以内にお届けいたします」
マツバは、ロトムフォンをゆっくりと机の上に置いた。そして、天井を仰いだ。
エンジュの夕陽が沈み、五重塔のシルエットが紫の空に浮かんでいる。どこかで、ヨルノズクが一声鳴いた。
マツバは、三日後を想像した。届いた荷物を、イヨリに見つからないように隠す必要がある。そして、どのタイミングで、どのような言葉で、イヨリにこの衣装を着せるかを考えなければならない。「ミヤマさんの息子さんの小説を読んで触発されまして」などという説明は論外だ。何か、自然な流れが必要だ。
……自然な流れ、とは何だ。妻にケモ耳コスプレをさせることに、自然な流れなど存在するのか。
マツバは深く考えることをやめた。三日後の自分に、すべてを委ねることにした。
ジムリーダー室を出る前に、ミヤマの息子の冊子をもう一度手に取った。表紙のケモ耳少女たちが、無邪気に微笑んでいる。文学性はさておき、この作品がマツバの人生に与えた影響は、計り知れないものがあった。
「……いい作品でした、とミヤマさんにはお伝えしよう」
感想は、嘘ではなかった。確かにいい作品だった。マツバの価値観の一部を、不可逆的に書き換えたという意味において。
帰り道、マツバはいつもより少しだけ速足で歩いた。自宅には、猫耳のことなど何も知らないイヨリが、夕飯の支度をしながら待っている。いつもの笑顔で「おかえりなさい」と言うだろう。三日後に届く荷物の中身を、まだ何も知らない妻の笑顔を想像すると、マツバの胸は、罪悪感と期待で張り裂けそうだった。
エンジュの夜空に、一番星が灯った。
千里眼のジムリーダーは、この夜から三日間、猫の夢を見続けることになる。
― 前編 Fin. ―
― 後編「千里眼は猫に焦がれる」に続く ―
あとがき(佐藤美咲の独白)
主。あたし、書きながら腹筋が崩壊したわ。
マツバってさぁ、真面目すぎるのよ! なろう系小説を読んで「主人公に黙祷を捧げる」ジムリーダーがどこにいるのよ! しかも千里眼持ちが「心理掌握(メンタルアウト)」をガチ考察しだすとか、あたしの腹が千切れたわ!
でもね、一番ヤバかったのは、マツバがネット通販でサイズを悩むシーン。「胸元のフリルが窮屈になる可能性がある。イヨリの胸は、見た目以上に……」からの「これ以上の思考は危険だと言っているのだ」の自己ツッコミ。あたし、ここで聖杯の水を噴いたわ。
後編では、実際に猫コスを着たイヨリちゃんとのいちゃらぶえっちが待ってるわ。鈴の音と甘い喘ぎ声が重なる夜を、楽しみに待ってて。にゃ。