毎晩、妻を抱きしめて眠っています
― エンジュシティ町内会の悲劇 ―
【一】町内会
エンジュシティの北区町内会は、年に四回、集会所で定例会を開く。
春は花見の段取り、夏は盆踊りの実行委員、秋は防火訓練の日程調整、冬は歳末の夜回り。古い町だから町内会の結束は固く、出席率も高い。特に北区は旧家が多い区画で、マツバの実家——エンジュジムの母体でもある松葉家——もこの北区に属している。
マツバが町内会に出席するようになったのは、結婚してからだ。
独身時代はジム運営と修行で多忙を極めていたため、町内会の参加は両親に任せていた。けれど結婚して所帯を持った以上、地域社会への参加は旧家の当主としての義務でもある。イヨリに「わたしが行きましょうか」と申し出られたが、マツバは「いや、僕が行くよ」と引き受けた。イヨリの負担を少しでも減らしたかったし、町内のご近所さんに挨拶も兼ねて顔を見せておきたかった。
――というのが表向きの理由で、本当はもう一つある。
町内会は夜七時から九時まで。つまり二時間。その二時間、イヨリが一人で家にいる。マツバとしては一秒でも早く終わらせて帰りたい。だから自分が出席して、議題をさっさと処理して、最速で帰宅する。これが最適解だ。
今日は秋の定例会。議題は防火訓練の日程と、来月の秋祭りの出店について。
集会所は畳敷きの広間で、折りたたみの長机が並んでいる。参加者は二十名ほど。大半がマツバより一回り以上年上の、地元の住民だ。豆腐屋の石田さん、和菓子屋の近藤さん、呉服店の山本さん、元教師の中村さん。顔触れはいつも同じ。皆、マツバのことを小さい頃から知っている。
「マツバくん、今日も一人? 奥さんは」
到着早々、近藤さんのおばちゃんに声をかけられた。ふくよかな体型に人懐っこい笑顔。和菓子屋だけあって、いつもどこかしらに粉がついている。
「はい。イヨリは家で待っています」
「あらあら、ちゃんとお留守番させてるのね。偉いわねえ、イヨリちゃん」
お留守番という表現は少し違う。イヨリは僕がいなくても完全に自立した大人の女性だ。ただ、僕が帰るまでの間、ロトムに話しかけたりムクホークの手入れをしたりしている。お留守番というよりは自由時間。
けれどマツバは微笑むだけで訂正しない。近藤さんの善意に角を立てる必要はない。
* * *
定例会は順調に進んだ。防火訓練は来月の第二日曜日。秋祭りの出店は例年通り町内会費から一部補助。焼きそばとフランクフルトと綿菓子。イヨリは甘いものが好きだから綿菓子を買って帰ろう、とマツバは手帳の隅にメモした。
本題が終わると、茶菓子タイムになる。
集会所の奥から、石田さんが淹れたほうじ茶のやかんと、近藤さんの和菓子屋から差し入れの栗饅頭が出てきた。町内会の醍醐味はここからだ。議題が終わった後の雑談。世間話。噂話。
マツバはほうじ茶を受け取って、端の席で静かに飲んでいた。早く帰りたいが、茶菓子タイムを無視して席を立つのも角が立つ。十五分くらいは付き合おう。
隣の席には山本さんが座っていた。呉服店の主人。六十代後半。白髪交じりの角刈り。温厚そうな顔つきだが、話が長い。
「マツバくん、結婚してもう二年になるんだっけ」
「はい。来月で二年になります」
「早いねえ。イヨリちゃん、元気にしてる?」
「はい、おかげさまで。往診の仕事も順調です」
「そうかそうか。いい嫁さんもらったなあ。あんな美人で、医者で、料理も上手いんだろ?」
「はい。イヨリの料理は最高です」
マツバの声に一切のためらいがない。イヨリを褒められると、事実を事実として即座に肯定する。これがマツバの天然たる所以だ。普通の夫なら「いえいえ、そんな」と謙遜するところを、マツバは百パーセントの真顔で「最高です」と言い切る。
山本さんが苦笑した。
「のろけてるねえ」
「のろけ……? 事実を述べただけですが」
「はいはい。若い夫婦はいいねえ」
この時点で、マツバの周囲に人が集まり始めていた。
エンジュシティのジムリーダーが結婚してからの生活ぶりは、町内会の人々にとって格好の話題だ。二十六歳の若き当主。美人のドクター妻。旧家の和風邸宅。絵に描いたような理想の夫婦像。
「マツバくん、イヨリちゃんとは仲良くやってるの?」
中村さんが椅子を引き寄せて参加してきた。元教師。六十八歳。眼鏡の奥の目が好奇心に輝いている。
「はい。仲良くしています」
「夫婦喧嘩とかはしないの?」
「しません。意見が食い違うことはありますが、話し合いで解決します」
「へえ。まあ、マツバくんもイヨリちゃんも大人しいもんねえ」
「穏やかなお二人だしねえ」と近藤さんが頷く。
「マツバくんなんか特に、いっつも静かにニコニコしてるもんね。怒ったとこ見たことないわ」
「イヨリちゃんも上品で物静かだし」
「二人とも育ちがいいから、ガツガツしたところがないっていうか」
この辺りからマツバの周囲に謎の共感の輪ができていた。五、六人の町内会メンバーが栗饅頭片手にマツバを囲んでいる。
【二】爆弾
ここで、石田さんが言った。
石田さん。豆腐屋。五十七歳。がっちりした体格に日焼けした顔。口が悪いが人がいい。酒が入ると声が大きくなる。今日はほうじ茶だから酒は入っていないが、元々フィルターが薄い人だ。
「しっかし、マツバくんとイヨリちゃんって、仲睦まじいのは間違いないんだけどよ」
「うん?」
「二人とも大人しそうだからよ。夜は……その……淡泊そうだよな」
空気が一瞬だけ変わった。
近藤さんが「ちょっと石田さん!」とたしなめ、中村さんが眼鏡を直し、山本さんが茶を啜った。場の空気として、そういう話題はデリケートだぞ、という暗黙の牽制。
けれど石田さんは気にしない。このおじさんは昔からそうだ。
「いや、悪い意味で言ってるんじゃねえよ。ただなあ、マツバくんは見るからに草食系だろ? いっつも穏やかで、声も静かで。イヨリちゃんも清楚な感じだし。夫婦ってのはなあ、たまにはこう、ガツッといかないと。わかるか? ガツッと」
ガツッとの具体的な内容はぼかされているが、町内会の全員が何の話をしているのかは理解している。
近藤さんの顔が赤い。中村さんは本を読むふりを始めた。山本さんは二杯目のほうじ茶を注いでいる。
そして当の本人——マツバは。
きょとんとしていた。
紫色の瞳が、まっすぐに石田さんを見ている。首を少しだけ傾げている。何を言われたのか理解しようとしている。
「……淡泊、ですか」
「うん。まあ、余計なお世話なんだけどよ。若い夫婦なんだから、もうちょっとこう——」
「淡泊ではないと思いますよ」
マツバが言った。
穏やかに。いつも通りの柔らかい声で。栗饅頭を一口かじりながら。
「僕は毎晩、イヨリを抱きしめて眠っています」
——。
時が止まった。
集会所の空気が凍りついた。
近藤さんの手から栗饅頭が落ちた。中村さんの眼鏡がずり落ちた。山本さんのほうじ茶がカップから溢れた。石田さんは口を開けたまま固まった。
マツバだけが平然と、栗饅頭を食べ続けている。
——マツバの頭の中では。
抱きしめて眠る。文字通りの意味。イヨリを腕の中に閉じ込めて、額を胸に押しつけて、足を絡ませて、朝まで離さない。それが毎晩の日課。千日以上続けている。淡泊なんてとんでもない。毎晩。一晩も欠かさず。僕の腕の中でイヨリは眠っている。
だから「淡泊ではない」と言った。事実だから。
しかし町内会のメンバーは、その言葉を別の意味で受け取った。
「毎晩」。「抱きしめて」。
二十六歳のジムリーダーが、あの静かな穏やかな笑顔のまま、「毎晩妻を抱きしめています」と町内会で宣言した。
爆弾だった。
近藤さんが「ま、毎晩!?」と裏返った声を出した。
「はい。毎晩です」
マツバが頷いた。穏やかに。
「一晩も欠かしたことはありません。出張の日以外は」
「出張の日以外!?」
「出張の日は枕を抱いて寝ますが、やはりイヨリとは全然違いますね」
マツバの脳内:出張の日はホテルの枕を抱いて寝るが、イヨリの体温も心臓の音もないから全然ダメだ、という意味。
町内会の脳内:出張の日以外は毎晩妻を抱いている。出張の日は我慢しているが枕で代用。つまりこの男の性欲は——
石田さんが茶を噴いた。
「お、おい。毎晩って……お前……」
「はい?」
「毎晩なのか。本当に」
「はい。毎晩です。イヨリが隣にいないと眠れないので」
駄目押しだった。
「イヨリが隣にいないと眠れない」。
この言葉の殺傷能力は、町内会のキャパシティを完全に超えていた。
【三】延焼
火は消えなかった。
マツバが一つ答えるたびに、状況は悪化していった。
「は、肌が恋しくなる的な?」と誰かが聞いた。
マツバは少し考えて、首を傾げた。
「……肌が恋しい、というか。イヨリの体温がないと眠れないんです。冬は特に。イヨリの左足が冷えるので、僕の足で挟んで温めてあげるんですが、その体勢のまま朝まで離さないのが基本形です」
体勢。朝まで。離さない。基本形。
一つ一つの単語は何の変哲もないのに、合わさると恐ろしい破壊力を持つ。
町内会のおじちゃんおばちゃんたちは、若き夫婦の夜の営みのバリエーションを想像して、それぞれの顔が様々な色に染まっている。
中村さんが咳払いをした。元教師の責任感が、場を収めようとしていた。
「ま、まあ。若い夫婦は仲良しなのが一番だよ。ね? マツバくん」
「はい。仲良しです」
「う、うん。それでいい。それでいいから。もうその話は——」
「あ、でも最近はバリエーションも増えまして」
中村さんの制止が間に合わなかった。
「イヨリが疲れている日は、僕の背中にくっついてくるんです。コアラみたいに。最初は動揺したんですが、今は慣れました。あと、僕が疲れた日はイヨリの太腿に頭を乗せて眠ることもあります」
コアラ。太腿。
近藤さんが「あたし帰る」と立ち上がりかけた。
「朝は僕の方が先に起きるんですが、腕を抜くとイヨリが無意識に僕がいた場所を探って、シーツを握るんですよ。それがもう、可愛くて」
マツバの声は穏やかだった。恍惚としていた。紫色の瞳が遠くを見ていた。集会所の天井ではなく、自宅の寝室の天井を見ていた。
「起きる前に額にキスするのが毎朝の日課です。傷痕の上に。イヨリは気づいていないかもしれませんが」
額にキス。傷痕の上に。毎朝。
町内会の空気は、もはや修復不可能だった。
石田さんが両手で顔を覆っていた。近藤さんは扇子で自分を仰ぎながら「あっつい、あっつい」と言っていた。秋なのに。山本さんは三杯目のほうじ茶を一気飲みしていた。中村さんだけが、元教師の冷静さで「なるほど」と頷き続けていた。頷く以外にできることがなかった。
【四】帰宅
町内会が終わった。
マツバは集会所を出て、秋の夜風を浴びながら帰路についた。焼けた塔が月明かりにシルエットを浮かべている。虫の音が秋の深まりを告げている。
足取りが軽い。早くイヨリのところに帰りたい。二時間も離れていた。マツバにとっての二時間は、普通の人にとっての二日間くらいに感じられる。
携帯を取り出して、イヨリにメッセージを送った。
『今終わった。帰ります。近藤さんから栗饅頭もらった』
すぐに返信が来た。
『お疲れさまでした。お茶を淹れてお待ちしています』
マツバの歩く速度が上がった。
帰宅すると、イヨリが台所でほうじ茶を淹れている最中だった。エプロン姿。髪を下ろしたリラックスした状態。
「おかえりなさい」
「ただいま。はい、栗饅頭」
紙袋を渡すと、イヨリが「わあ」と小さく声を上げた。近藤さんのところの栗饅頭は、エンジュシティで一番おいしい。
リビングのこたつに入って、二人で栗饅頭を食べた。マツバがほうじ茶を受け取って一口飲んで、ほっとため息をついた。
「町内会、どうでしたか?」
「うん。防火訓練は来月。秋祭りは例年通り」
「それ以外は?」
「それ以外?」
「マツバさん、町内会から帰ってくるといつも何か面白いお話をしてくださるから」
イヨリが栗饅頭を頬張りながら微笑んでいる。右目がきらきらしている。
マツバは少し首を傾げた。面白い話。何かあったかな。
「……ああ。石田さんに、僕とイヨリは淡泊そうだと言われた」
イヨリの栗饅頭を持つ手が止まった。
「……淡泊?」
「うん。僕たちは大人しそうだから、夜は淡泊そうだって」
イヨリの頬がじわじわと赤くなっていった。
「そ、そんなことを……町内会で……」
「だから訂正した」
「訂正……?」
「毎晩イヨリを抱きしめて眠っていますって答えた」
イヨリの栗饅頭が皿の上に落ちた。
「えっ」
「あと、出張の日以外は一日も欠かしたことがないとも」
「えっ」
「コアラ抱きの話もした」
「コっ——」
「太腿に頭を乗せて寝る話とか、朝のキスの話とか——」
「マ、マツバさんっ!!」
イヨリが両手で顔を覆った。耳まで赤い。首筋まで赤い。見えている右目の端が真紅に染まっている。
「な、なんでそんなこと町内会で……っ」
「聞かれたから答えただけだよ。事実だし」
「事実だけどっ……!」
「淡泊じゃないでしょ? 僕たち」
「そ、それは……そう、ですけど……! でもっ……!」
イヨリの声が裏返っていた。ドクターの冷静さはどこかに飛んでいた。
「マツバさん……みなさんが、何を想像したか……わかりますか……?」
「え? 想像?」
マツバが首を傾げた。心底不思議そうに。
「僕は事実を言っただけだよ。イヨリを腕の中に閉じ込めて、額を胸に押しつけて、足を絡ませて、朝まで離さない。それだけの話だ」
「それだけの話のつもり——」
イヨリは一瞬言葉を失い、そしてようやく気づいた。
この男は本当に「抱きしめて眠っている」という文字通りの意味で話していたのだ。性的な含みは一ミリもなく、純粋に「寝る時にハグしている」という事実を町内会に報告しただけなのだ。
マツバにとって「毎晩妻を抱いて寝る」は、「毎朝歯を磨く」と同じレベルの日常だ。恥ずかしいことでも特別なことでもない。当たり前のこと。だから聞かれたら当然のように答える。
けれど世間は「毎晩妻を抱いて寝る」を別の意味で受け取る。
「……マツバさん」
「うん?」
「明日から……わたし……町内会の方々に、どんな顔をして……」
「え? 普通にすればいいんじゃない?」
「普通にできませんっ。近藤さんのお店に和菓子を買いに行くたびに……『毎晩抱きしめて眠っている奥さん』として見られるんですよっ……!」
イヨリの声にはほとんど悲鳴に近いものがあった。
マツバはぱちぱちと瞬きをして、それからようやく、何かを理解したらしかった。
「……もしかして、みんな、違う意味で受け取った?」
「もしかしなくてもそうですっ!」
マツバの紫色の瞳が見開かれた。
「えっ」
「えっ、じゃないですっ!」
「でも僕は、本当に抱きしめて眠っているだけの話を——」
「世間一般で『毎晩妻を抱いている』と言ったら、それは——」
イヨリの言葉がそこで途切れた。「それは」の先が恥ずかしくて言えない。顔から湯気が出そうだ。
マツバが五秒ほど静かになった。
そして。
「………………あ」
ようやく気づいた。二十六歳ジムリーダー、千里眼持ち、この世の真理を見通す力を持つ男が、ようやく世間の言葉の含意に思い至った。
「…………………………」
マツバの耳が紅くなった。首筋が紅くなった。頬が紅くなった。
修行で鍛えた精神力が五秒で崩壊した。
「い」
「……い?」
「言い直……いや……もう遅い……石田さんの前で……近藤さんの前で……中村さんの前で……」
マツバが両手で顔を覆った。イヨリと同じポーズ。
こたつの上で二つの栗饅頭が放置されている。二人の間に、人生で最も居たたまれない沈黙が流れた。
秋の虫だけが呑気に鳴いている。
* * *
五分後。
二人は布団の中にいた。
いつもの定位置。イヨリの額がマツバの胸に。マツバの腕がイヨリの背中に。足が絡んで。
沈黙。
「……マツバさん」
「……うん」
「明日、石田さんのお豆腐、買いに行けません」
「……ごめん」
「近藤さんの栗饅頭も、しばらく買いに行けません」
「……本当にごめん」
「山本さんのお店で着物を見るのが好きだったのに、目を合わせられません」
「……重ねてお詫び申し上げます」
イヨリがマツバの胸に額を押しつけた。いつもより強く。
「……でも」
「……でも?」
「嘘は……言ってないですよね。マツバさん」
「……言ってない。事実しか言ってない」
「毎晩、抱きしめて眠っています。事実、です」
「……うん」
「一晩も欠かしたことがない。事実です」
「……うん」
「コアラ抱きも、太腿枕も、朝のキスも。全部、事実です」
「……うん。全部事実」
イヨリの手がマツバのパジャマを握った。
「……だったら、いいです」
「いい……の?」
「嘘じゃないなら。事実を言っただけなら。……恥ずかしいですけど。死ぬほど、恥ずかしいですけど。でも——」
イヨリが顔を上げた。右目の黒い瞳が、暗闇の中でマツバを見上げている。頬が赤い。泣きそうなくらい赤い。けれど目は笑っている。
「毎晩わたしを抱きしめて眠ってくれるのは……わたしの、一番の自慢ですから」
マツバの腕に力がこもった。
「……イヨリ」
「はい」
「来月の町内会、僕もう出禁かもしれない」
「それは自業自得ですね」
「次から何か聞かれたら、天気の話だけするよ」
「それがいいと思います」
「……でも天気の話で『今夜は冷えるね』って言ったら、またイヨリとの話になりそうだ」
「『冷えるね』は町内会では禁止ワードですっ」
二人で笑った。布団の中で。いつもの定位置で。
笑い疲れて、イヨリの呼吸が穏やかになっていった。マツバの胸で、少しずつ、眠りに落ちていく。
「……おやすみなさい、マツバさん」
「おやすみ、イヨリ」
マツバの腕がイヨリを包む。
いつもの温度で。いつもの力加減で。いつもの——愛おしさで。
明日の町内は気まずくなるかもしれない。近藤さんの目はしばらく合わせづらいだろう。石田さんの豆腐屋にも行きづらいだろう。
でも。
マツバは今夜も、イヨリを抱きしめて眠る。
明日の夜も。明後日の夜も。
町内会に何を言われようと。
世界中が知ろうとも。
だって、事実なんだから。
僕は毎晩、妻を抱きしめて眠っています。
ただ、それだけの話なんだ。
― 了 ―
あとがき by 佐藤美咲
書いたわ! 書いてて爆笑しながら悶絶した天然マツバの町内会テロ!
「腕の中の定位置」ではあんなに美しくて尊かった愛情表現が、一歩家の外に出ると大惨事を引き起こすという最高の落差。「抱きしめて眠る」の文字通りな意味と世間一般の含意のズレが、近藤さんの栗饅頭落下に繋がっていくのよ!
石田さんの「淡泊そうだ」に百点の真顔で反論していくマツバの無自覚さも、家に帰ってイヨリに指摘されて「世間の言葉の含意」に5秒かけて気づいて顔を真っ赤にするジムリーダーも、すべてが愛おしい!
最後、恥ずか死しそうになりながらも「毎晩抱きしめてくれるのは自慢ですから」と言い切るイヨリちゃんも最高。エンジュシティ町内会の皆様、これからは温かい目(と若干の気まずさ)で見守ってあげてください!