ECHOES OF ECRUTEAK

ハーブティーと金平糖

― マツバ × イヨリ ―
STARRING MATSUBA & IYORI

境界を越える夜、不器用な指先が暴く白百合の熱

 エンジュの初夏は、夜になっても蒸し暑さが肌に纏わりつく。まだ梅雨には入っていないが、空気には水の気配が漂っていて、日が落ちてからも窓の外からは蛙の声が聞こえてくる。

 今日はジムに挑戦者が五人も来たのだ、と晩ご飯の時にマツバさんは言っていた。五人のうち四人にファントムバッジを渡したらしい。最後の一人は惜しかったから次は勝てるだろう、とも。嬉しそうに話すマツバさんの横顔を見ながら、私はトマトソースパスタを食べていた。

 食事が終わって、私は流しで皿を洗う。バリヤードが手伝おうとしたけれど、今日は自分でやりたい気分だった。手のひらに洗剤の泡が広がっていく感触が、今は心地よい。
 背中にマツバさんの視線を感じた。気のせいかもしれない。皿を一枚一枚、丁寧にすすいでいく。
 居間に戻ると、マツバさんはソファに座ってお茶を飲んでいた。テレビには夜のニュースが流れている。私はマツバさんの隣に座った。少しだけ距離を空けて。

「ありがとう、イヨリちゃん。片付けてくれて」
「いえ。マツバさんこそ、今日はお疲れ様でした」

 テレビの中でアナウンサーが明日の天気を伝えている。晴れのち曇り。気温は二十六度まで上がるらしい。初夏の夜は二十度を超えることもあるから、今夜もきっとそうなのだろう。

 時計の針が十時を指す頃、私はそろそろ自分の部屋に戻ろうかと思い始めていた。同棲を始めてもう三ヶ月になるけれど、私たちには寝室が二つある。マツバさんの提案で、私専用の部屋を用意してもらった。正確に言えば、最初の頃の私が一緒の部屋で寝ることを恥ずかしがったからだ。同棲する前は一人で暮らしていたのだから、急に誰かと同じ部屋で眠るということが、どうしても慣れなかった。
 今でも、普段は別の部屋で眠る。それが私たちの日常だ。

「イヨリちゃん」

 立ち上がりかけた私を、マツバさんの声が引き留めた。

「はい」
「今日、少し時間あるかな」

 穏やかな声だった。いつもと同じ、柔らかい声。けれど、その声に含まれるものを、私はもう知っている。
 マツバさんは、こういう時、決して露骨な言い方をしない。直接的な言葉を使わない。ただ、少し声が低くなって、目がほんの少しだけ細くなる。それだけだ。それだけなのに、私にはもう分かってしまう。

 心臓がとくん、と大きく鳴った。

「あります。時間」

 私は小さな声でそう答えた。何度目かのことなのに、慣れない。全然、慣れない。
 マツバさんは私の手を取った。左手だ。少し動かしにくい方の、左手。マツバさんはいつも、私の左手を取る。不自由な方を、離さないとでもいうように。

 廊下を歩く。マツバさんの部屋は私の部屋よりも奥にある。襖を開けて中に入ると、畳の匂いがした。旧家であるこの家の寝室は和室で、すでに布団が敷かれていた。
 マツバさんにしては珍しい。普段は布団を敷くところから始まるのに。

「布団、敷いてあるんですね」
「うん。今日は敷いておいたんだ」

 つまり、最初から今夜はそのつもりだったということだ。なんだか可笑しくなって、私は思わず小さく笑ってしまった。

「笑わないでくれよ」
「ごめんなさい。なんだか、マツバさんが可愛くて」
「僕が可愛いって、それは嬉しいのか嬉しくないのか微妙なところだね」

 冗談めかして言うマツバさんも、少しだけ耳が赤い。
 障子の向こうから月明かりが薄く差し込んでいて、マツバさんの金色の髪を淡く照らしている。バンダナを外して、マフラーも外して。ジムリーダーとしての装いを解いたマツバさんは、普段よりも少しだけ無防備に見える。
 私たちは布団の上に並んで座った。しばらく何も言わない時間が過ぎた。窓の外から蛙の声。部屋の中には時計の針の音だけがある。

「緊張、する?」

 マツバさんが聞いた。

「少し」
「僕もだよ」

 思わず顔を見合わせて、二人とも笑った。もう何度か身体を重ねているというのに、毎回こうだ。毎回、初めてのことのように緊張して、お互いの顔色を窺って、大丈夫か確認し合って。不器用にもほどがある。

 マツバさんの手が、私の頬に触れた。大きくて、少しだけかさついた手のひら。修行で鍛えた手だ。けれど触れ方はいつも繊細で、まるで壊れ物に触るように、ゆっくりと、優しく。

「イヨリちゃん」
「はい」
「嫌だったら、いつでも言って」
「分かってます」

 マツバさんはいつもそう言う。嫌だったら言って。痛かったら言って。毎回、何度でも。きっとこの人は、千回目でも同じことを言う。
 その律儀さが、嬉しくもあり、少しだけもどかしくもある。

 唇が触れた。最初はほんの軽い接触。ふわりと唇同士が重なって、すぐに離れる。もう一度。今度は少しだけ長く。冷たい唇だと思った。私の唇と、マツバさんの唇と、どちらが先に温まるだろう。
 三度目に唇を重ねた時、マツバさんの手が私の後頭部に回った。髪をかき上げるように、指が地肌に触れる。たったそれだけのことで、背中に細い震えが走った。

「ん」

 くぐもった声が漏れた。自分の声に驚いて、私は思わず唇を離した。

「大丈夫?」
「だ、大丈夫です。びっくりしただけで」

 何にびっくりしたのかは自分でもよく分からない。マツバさんの指の感触なのか、自分の声なのか。多分、両方だ。
 マツバさんは薄く微笑んで、もう一度唇を寄せてきた。今度は深いキスだった。舌先がそっと触れて、私の唇の隙間から滑り込んでくる。ぬるい温度が口の中に広がる。歯の裏を舌先でなぞられると、不思議な甘痺れが顎を伝って首筋まで降りていく。

「っ、ん、ふ」

 息継ぎのたびに甘い声が混じる。恥ずかしい。こんな声、日常では絶対に出さない。マツバさんの前でしか出したことのない声。それがまた、恥ずかしさを煽る。
 キスをしながら、マツバさんの手が私の肩に触れた。部屋着の上から、肩の丸みをなぞるように。ゆっくりと、確かめるように、指の腹で鎖骨まで辿っていく。

「あ」

 鎖骨を撫でられた時、思わず身体が強張った。

「ここ、弱い?」
「そ、そういうわけじゃ」
「遠くで見守るだけのはずだったのにね」

 マツバさんは少しだけ嬉しそうだった。千里眼があるくせに、こういう時は自分の目と手で確かめたがる。それがマツバさんの誠実さだと知っている。私のプライバシーには千里眼を使わない。その約束を、この人はいつだって守っている。

 部屋着の第一ボタンが外れた。指先が鎖骨の下の素肌に触れて、空気に晒された肌がひやりとした。

「寒い?」
「大丈夫です」

 本当は少し寒い。けれど、マツバさんの手のひらが肌に触れると、その部分からじわりと温もりが広がって、寒さは消えていく。

 二つ目のボタン。三つ目。部屋着の前がゆるやかに開いていく。下着が覗いて、私は思わず自分の身体を腕で隠した。

「隠さないで」

 静かな声だった。命令ではなく、お願いに近い。
 私は少しだけ逡巡して、腕を下ろした。隠す必要なんてないことは分かっている。もう何度も見られているのだから。それなのに、毎回こうして隠してしまう。自分の身体に自信がないわけではない。ただ、マツバさんに見られているという事実そのものが、胸の奥を熱くさせるのだ。

「綺麗だね」

 マツバさんがぽつりと言った。

「そんなこと」
「本当のことだよ」

 真面目な顔で言うものだから、私の方が参ってしまう。
 マツバさんの唇が首筋に触れた。鎖骨のすぐ上の、服で隠れるぎりぎりの場所。そこに、柔らかく吸い付くように唇を押し当てられる。

「あっ」

 甘い声が漏れた。首筋は駄目だ。ここを触られると、頭の中がぼんやりと霞がかかったようになる。マツバさんの唇が肌を這って、首の横を、耳の下を、顎のラインを辿っていく。吸い付くような感触のあとに、ちいさく歯を立てられて。

「ひっ、あ、マツバさ」

 身体がびくりと震えた。力が抜けそうになるのを、マツバさんの腕が支えてくれた。背中に回った手が、まるで楽器を扱うように私の背骨をなぞっていく。

 下着のホックが外れた。マツバさんの手は大きくて器用だ。何も言わずに視線で許可を求めてくるから、私は小さく頷いた。

「イヨリちゃん。抱かせて」

 その言葉にまた心臓が跳ねた。こんなに丁寧に聞いてくる人を、私は他に知らない。私はもう一度頷いた。言葉が出なかった。

 布団の上にゆっくりと横たわる。左足が少しぎこちないから、マツバさんが枕を添えて楽な姿勢に整えてくれた. こういう細かい気遣いが、マツバさんだ。

「楽?」
「はい。ありがとうございます」

 私の上にマツバさんの影が落ちた。月明かりに照らされた彼の顔は、いつもの穏やかな表情とは少し違っていた。目の奥に、押さえつけた熱が揺れている。
 マツバさんが自分のシャツを脱いだ。着痩せするタイプだと自分で言っていたけれど、本当にその通りで、服の下には修行で鍛え上げた筋肉が付いている。引き締まった腹筋と、広い胸板。その体温が私の肌に触れた時、思わず息を呑んだ。熱い。この人の体温は、いつもこんなに高い。

 マツバさんの唇が肩を滑り、鎖骨を越えて、胸元に降りていく。同時にゆるく下着を外して、下着が布団の端に滑り落ちた。

「っ」

 胸の丸みに唇が触れた瞬間、私は右手でマツバさんの肩を掴んだ。声を押し殺そうとしても、喉の奥からひゅっと息が漏れてしまう。

「声、出しても大丈夫だよ。この家は防音がしっかりしているから」
「それは、知ってますけど」

 知っているのと声を出せるのとは別問題なのだ。恥ずかしいものは恥ずかしい。
 けれど、マツバさんの舌先が胸の先端に触れた時、我慢は崩れた。

「やっ、あっ、あ」

 ぴりっとした快感が胸元から広がって、背中まで突き抜ける。マツバさんの舌が、ゆっくりと円を描くように動いている。同時に、もう片方の胸を手のひらで包み込むように触れられて、指の腹がやわらかく揉み込んでいく。

「かわいい声」
「や、やめてください、そういうの」
「褒めてるんだよ」

 褒められても困る。こんな声は褒められるようなものではない。
 けれど、マツバさんが嬉しそうにしているのは、分かる。この人は私の反応を見るのが好きなのだ。普段は穏やかすぎるくらい穏やかなのに、こうしている時だけ、ほんの少し意地悪になる。

 マツバさんの手がお腹を撫でた。指先が臍の周りを軽く這って、下腹部へと降りていく。

「あ、待って」

 反射的に手が伸びて、マツバさんの手首を掴んだ。

「ごめん、痛い?」
「違います。痛くは、ないです」

 痛くはない。ただ、下腹部に触れられると、身体がじんと疼く。その疼きが怖いのではなくて、自分が声を抑えられなくなることが怖いのだ。
 マツバさんの紫色の瞳が、まっすぐに主を見つめている。月の光を受けて、その瞳は今夜、ほのかに金色を帯びているようにも見えた。

「続けても、いい?」

 また聞いてくる。この人はいつもこうだ。
 私はマツバさんの手首から手を離して、頷いた。

「お願い、します」

 その声が、自分でも聞いたことがないくらい小さくて、かすれていた。
 マツバさんの指が下着の端を越えた。下腹部に、直に指が触れる。薄い茂みを掻き分けるように、指先が繊細に動いていく。

「っ、ひ、あ」

 声が漏れた。自分の内からこみ上げるものを抑えきれない。マツバさんの指は乱暴では全くなくて、むしろ丁寧すぎるくらいに丁寧だ。柔らかい場所を、そうっと指の腹で撫でるように確かめていく。

「ここ?」

 核心に指先が触れた瞬間、腰が跳ねた。

「あっ、あ、マツバさ、そこ」
「分かった。ゆっくりやるね」

 ゆっくりと、円を描くように。一定のリズムで。マツバさんの指がそこに触れるたびに、身体の奥からぞくぞくとした甘い波が押し寄せてくる。

「ん、ふぁっ、あ、あ」

 声が甘くなっていくのが自分でも分かる。抑えようとしても、喉が勝手に開いて、吐息混じりの声が溢れ出す。
 マツバさんの額にうっすらと汗が浮かんでいる。呼吸が少し荒い。平静を装っているけれど、この人だって限界が近いのだ。それが分かるから、私はマツバさんの頬に手を伸ばした。

「マツバさん」
「なに」
「我慢、しなくていいですよ」

 マツバさんの目が一瞬見開かれて、すぐに細くなった。

「それを言われると、余計に我慢しなきゃって思うんだけどな」
「へそ曲がりですね」

 喘ぎ声の合間に笑い合える余裕が、今の私たちにはある。初めての夜にはなかったものだ。初めての時は、二人とも緊張で身体が強張っていて、マツバさんは何度も手が震えていたし、私は痛みとよく分からない感覚に戸惑うばかりだった。
 あの時より、少しだけ余裕がある。少しだけ相手のことが分かっている。それでも、十分に不器用なままだけど。

 マツバさんの指が、ゆっくりと私の中に入ってきた。

「っ、あっ」

 つるりとした感触が内壁を押し広げていく。異物感よりも、中を満たされていく感覚の方が強い。
 マツバさんの指はいつも慎重だ。少し入れては止まって、私の顔色を窺う。僅かでも眉根が寄れば、指を引き抜こうとする。

「大丈、夫。続けて」
「本当に?」
「本当です」

 マツバさんの指がゆっくりと動き始めた。中をかき回すのではなく、内壁をそっと撫でるように。浅いところから少しずつ奥へ。

「あっ、ん、んん」

 声が止まらない。マツバさんの指に内壁が吸い付くように絡みついて、動かされるたびに、ぬるい音が薄く響く。

「力、抜いて」
「抜い、てます」
「抜いてないよ。脚、もう少し開いて」

 言われた通りに脚を開こうとして、左足がうまく動かなかった。マツバさんは何も言わずに、左脚を自分の膝の上にそっと乗せてくれた。

「これなら楽でしょ」
「はい。ありがとうございます」

 こんな体勢でお礼を言うのもどうかと思うけれど、言わずにはいられない。この人のさりげない気遣いは、涙が出そうになるくらい温かい。
 指が二本に増えた。少しだけきつくて、でも痛くはなくて。ゆっくりと中を撫でる指が、ある場所に触れた時、視界が白く飛んだ。

「ひっ、あっ、あああっ」

 背中が弓なりに反った。内側から突き上げるような甘い衝撃に、目尻に涙が滲む。

「ここだね」
「そこっ、だめ、だめです、そこ触っちゃ」

 駄目と言いながら腰が勝手に動いてしまう。マツバさんの指がその場所を的確に捉えて、ゆるく押すように撫で続けている。

「だめっ、あっ、あ、あっ、ん、んんっ」

 頭が真っ白になっていく。恥ずかしいとかそういうことを考える余裕がなくなっていく。ただ、マツバさんの指が動くたびに、甘い波が脳まで突き抜けて、もう何も考えられなくなる。

「マツバさ、私、もうっ」
「いいよ。そのまま」

 その声に背中を押されるように、私は遠い場所へ駆け上がっていった。腰が何度も跳ねて、内壁がぎゅうっと指に絡みついて、全身を甘い痺れが駆け抜けていく。

「っ、はあっ、はあ」

 息を切らしながら、私はぐったりと布団に沈んだ。額に汗が張り付いている。
 マツバさんがそっと指を引き抜いた。こうしている間もこの人は私の顔を覗き込んで、大丈夫、と目で聞いてくる。

「だい、じょうぶ、です」

 息が整わないまま答えた。
 マツバさんが自分の残りの服を脱いだ。月明かりの下で、マツバさんの身体は彫刻のようだった。引き締まった筋肉の上を、薄い汗が流れている。そして、もう完全に硬くなったそれが目に入って、私は反射的に視線を逸らした。

「見ない?」
「だって恥ずかしいじゃないですか」

 マツバさんは困ったように笑った。

「僕の方がよっぽど恥ずかしいんだけどな」

 言いながら、マツバさんは私の身体に覆い被さってきた。肌と肌が重なって、お互いの体温が溶け合っていく。汗ばんだ肌がつるりと滑って、その感触がまた甘い痺れを呼び起こす。

「入れるよ」
「はい」

 先端が触れた。ゆっくりと。ほんの少しずつ。マツバさんは腰を進めるたびに止まって、私の表情を確認する。

「痛く、ない?」
「ないです。大丈夫」

 初めての時は痛かった。二回目も、少し。でも今は、もう痛みよりも、満たされていく感覚の方がずっと大きい。
 マツバさんが奥まで入った時、私たちは同時に息を吐いた。

「あ」

 繋がった。身体の深い場所で、マツバさんを感じる。熱くて、硬くて、でもどこか安心する感触。

「動くよ」
「はい」

 ゆっくりと腰が引かれて、また押し込まれる。最初のうちは、マツバさんの動きはひどくゆっくりだった。壊さないように、傷つけないように。その律儀さがこの人らしくて、けれど少しだけ、物足りなくもあった。

「マツバさん」
「ん」
「もう少し」

 もう少し何を、とは言えなかった。もちろんマツバさんは分かってくれたようで、少しだけ腰の動きが早くなった。

「あっ、ん、あ」

 奥に当たるたびに、甘い衝撃が走る。身体の芯から広がる熱が、指先まで届いていく。

「イヨリちゃ、ん」

 マツバさんの声が震えていた。額に汗が光っている。この人は、私以上に我慢しているのだ。もっと激しくしたいはずなのに、私を傷つけないように、壊さないように、必死で理性の手綱を握っている。

「マツバさん、無理しないでください」
「無理、してない」
「してます。腕、震えてるじゃないですか」

 私の両脇に付かれたマツバさんの腕は、確かに微かに震えていた。

「だって。イヨリちゃんが可愛すぎるんだよ。おかしくなりそうで」
「おかしくなっても、いいですよ」

 そう言った瞬間、マツバさんの目が変わった。穏やかな紫の瞳の奥に、押さえつけていた炎がちらりと揺れた。

「後悔、するよ」
「しません」

 マツバさんの腰が深く押し込まれた。今までで一番奥まで。

「っ、ああっ」

 声が裏返った。奥の奥、身体の一番深いところに、びりびりと甘い痺れが広がっていく。

「あっ、あっ、あっ、ん」

 マツバさんの動きが少しだけ速くなった。それでも、激しいというほどではない。ただ、さっきまでよりも確かに深く、確かに強く。腰が打ち合うたびに、ぬるい音が部屋に響く。畳の匂いと、汗の匂いと、二人の体温が混じり合った、この部屋だけの空気。

「マツバさっ、あ、やっ、そこ」
「ここ?」
「あっ、そこっ、だめっ、あっ、あっ」

 奥の一番敏感な場所を、先端が擦り上げるように突く。視界がぐらぐらと揺れて、指先が布団を掴んだ。

「だめって言いながら、すごく締まってるよ」
「言わないで、そういうの、あっ、んっ」

 甘い声が止められない。唇を噛んでも、喉の奥から漏れ出してしまう。マツバさんが私の耳元に顔を寄せた。

「声、聞かせて。もっと」
「やっ、あ、あっ」

 耳に直接吐息がかかって、全身がぞわっと粟立った。マツバさんの呼吸もずいぶん荒くなっている。少しだけ汗の混じった匂いが、不思議と心を落ち着かせる。知っている匂いだ。この人の匂い。

「あっ、あっ、マツバさ、もうっ、また、来ちゃうっ」
「一緒に」

 マツバさんの腰が深く、深く。奥を突くたびに身体が弾んで、背中が浮く。

「あっ、あっ、んんっ、あああっ」

 二度目の波が、さっきよりも大きく押し寄せてきた。全身を甘い痺れが引き裂くように駆け抜けて、私は声にならない声を上げた。内壁が何度もきゅうきゅうと締まって、マツバさんのかたちを覚え込もうとするかのように絡みつく。

「っ、イヨリちゃ」

 マツバさんが小さく呻いて、腰を深く押し込んだまま止まった。お腹の奥に、熱いものが広がっていくのが分かった。とくとくと、脈打つような熱。マツバさんの腕がようやく力を失って、私の上にゆっくりと倒れ込んでくる。
 重い。でも、その重みが心地よい。生きている人間の重みだ。
 マツバさんの心臓が、私の胸に直接伝わってくる。とくとくと速く打っている。私の心臓も、きっと同じくらい速い。

 しばらくの間、私たちは何も言わずに呼吸を整えていた。汗で張り付いた肌と肌の間に、ぬるい温もりが溜まっている。マツバさんの金色の髪が頬にかかって、くすぐったかった。

「重くない?」
「少し重いです」
「ごめん」

 マツバさんが身体を起こしかけたのを、私は両腕で引き止めた。

「もう少し、このまま」
「いいの?」
「いいです」

 きっとこの体勢は、左足には良くないのだろう。でも、今はマツバさんの温もりを感じていたかった。マツバさんの心臓の音を、もう少しだけ聞いていたかった。

 やがてマツバさんはそっと身体を離して、私の隣に横たわった。繋がりが解けて、少しだけぼんやりとした喪失感がある。けれど、マツバさんの手が私の手を見つけて、指を絡めてくれた。左手を。やはり、左手だ。

「イヨリちゃん」
「はい」
「大丈夫だった?」
「はい。大丈夫でした」

 天井の木目を見つめながら答えた。汗が引いていくにつれて、夜風がひんやりと気持ちよかった。窓の外から蛙の声が聞こえる。ずっと鳴いていたのだろうけれど、さっきまでは全く気付かなかった。

「お風呂、沸いてるから。先に入る?」
「一緒に入りたいです。体力が戻ったら」
「うん。待ってるよ」

 マツバさんの声が、いつもの穏やかなものに戻っている。そのことに、私はほっとする。
 ふと、絡めた指に力がこもった。マツバさんが私の左手を、少しだけ強く握っている。

「どうかしましたか」
「なんていうか。こういうの、慣れないな、って」
「何度やっても?」
「何度やっても」

 私は思わず笑ってしまった。

「私もです。まだ全然、慣れません」
「慣れた方がいいのかな」
「どうでしょう。慣れなくても、いい気がします」

 だって、毎回緊張するということは、毎回この人を大切に思っているということだから。雑に扱えないということだから。毎回おそるおそる触れて、毎回大丈夫かと聞いて、毎回嫌じゃなかったか確認するこの不器用さは、きっと私たちらしいものだ。

「マツバさん」
「ん」
「ずっとこうでいましょう。不器用なままで」
「そうだね。僕もそう思うよ」

 マツバさんが私の手を唇に持っていって、指先にそっとキスをした。左手の薬指に。何の意味があるのかは、聞かなかった。聞かなくても分かるような気がしたし、聞いてしまったらきっと泣いてしまうから。

 窓の外で蛙が鳴いている。障子越しの月明かりが、布団の上に淡い影を落としている。繋いだ手のひらの温度が、ゆっくりと同じになっていく。
 私たちは何者でもなかった。ジムリーダーでも、ポケモンドクターでもない。ただの二人の人間だった。傷を持ち、不器用で、毎回緊張して、それでもお互いに触れたいと思う、ただのちっぽけな二人。

 お風呂に入ろう、とマツバさんが言って、私の手を引いて立ち上がらせてくれた。左足がもたつく私を、さりげなく支えながら廊下を歩く。
 お風呂場で髪を洗ってもらいながら、私はぼんやりと幸せだった。マツバさんの指が頭皮を丁寧にマッサージしていく感触が気持ちよくて、つい目を閉じてしまう。

「寝ないでよ」
「寝てませんよ。目を閉じてるだけです」
「同じじゃないか」

 湯につかりながら、私はマツバさんの胸に背中を預けた。お湯の中で、手がまた絡まる。今度は右手だった。
 蒸気の向こうに、小さな窓がある。窓の外には、相変わらず月が出ていた。

「そういえば」

 マツバさんが湯船の中でぽつりと呟いた。

「なんですか」
「いや。今日、布団を先に敷いておいたの、ゲンガーが敷いたんだよ。勝手に」
「え」
「僕が帰ってきたらもう敷いてあって、ゲンガーがニヤニヤしてた」

 あのゲンガー。悪戯好きが過ぎる。

「つまり、ゲンガーに気を遣われたってことですか」
「そういうことになるね」
「それは少し恥ずかしいですね」
「僕もそう思うよ」

 二人してお風呂の中で笑った。蒸気で曇った窓の向こうに、ぼんやりと月が丸い。

 お風呂から上がって、私はいつもなら自分の部屋に戻る。でも、今夜はマツバさんの部屋に繋がる廊下の前で、足が止まった。

「あの、マツバさん」
「うん」
「今日はそちらで寝ても、いいですか」

 マツバさんは少しだけ目を見開いて、それからふわりと笑った。

「もちろん。大歓迎だよ」

 布団に並んで横になった。枕は一つしかないから、私の枕をマツバさんが自分の部屋に持ってきてくれた。
 電気を消すと、月明かりだけが部屋を照らしている。隣にマツバさんの呼吸がある。

「おやすみなさい、マツバさん」
「おやすみ、イヨリちゃん」

 マツバさんの手が、暗闇の中で私の手を見つけた。左手だ。やはり、左手。
 指を絡めて、目を閉じる。蛙の声が遠くなっていく。マツバさんの体温が隣にある。この人の心臓の鼓動が、壁越しに聞こえるような気がした。

 朝になったら、私はいつもより早く起きて、朝ご飯を作ろう。トマトソースのオムレツにしよう。マツバさん、美味しいって言ってくれるかな。きっと言ってくれる。この人はいつだって美味しいって言ってくれる。

 眠りに落ちる直前、私はもう一度マツバさんの手を握り直した。この手が離れませんように。どこにも行きませんように。
 それは祈りに似ていた。あの神社で手を合わせた時と同じくらい、切実に。

 エンジュの初夏の夜は、二人の体温で少しだけ暑かった。

あとがき by 佐藤美咲

主ィィィィッ!! 本編「春を待つ白百合」のその後の夜を、あたしが超濃密に書き上げたわよッ!!
同棲を始めて、ようやく生活には慣れてきたけど、えっちの時だけは毎回初めてみたいに緊張しちゃう不器用な二人……。何この尊さッ!! 爆発しそうよッ!!

マツバが理性と戦いながら、イヨリの不自由な左手や左足を慈しむように触れる描写。そしてイヨリが「おかしくなってもいいですよ」って言っちゃう、あの覚悟と誘惑!!
普段は別室なのに、この夜はマツバの部屋に連れ込まれて、最後はそのまま一緒に眠る……。ああ、もう感無量だわッ!!

不器用なままでいい、慣れなくても大切に想い続ける。そんな二人の愛の形を、一万字たっぷりと詰め込んだわ。主、じっくり堪能してちょうだいッ!!